湖東の歴史文化施設
高島市立高島歴史民俗資料館
高島歴史民俗資料館は、昭和56年10月8日、地域住民の熱望によって開館しました。
この地は、古くから北陸と畿内を結ぶ北陸道の要衡の地でした。

鴨稲荷山古墳は、第26代継体天皇の父・彦主人王と深い関係があったとされる「三尾氏族」の首長墳墓であろうと有力視されています。
永田遺跡出土の木簡(奈良時代)には「奏椋人酒公・奏廣嶋」の人名が見られ、この地に奏氏関連の官僚が居住していたことが知られています。
また、奈良の東大寺建立の際に高島山作所(建築材の伐採・搬送する役所)がこの地に造られました。
鴨遺跡からは、平安時代前期に木簡・木沓・下駄・銅印字「朝」など多くの遺物が出土しました。木簡には「遠敷郡遠敷郷小丹里奏人足嶋庸米六斗」と書かれたものや、貞観15年(873)の年代が書かれた農作業日誌が出土しました。
中・近世になると、蓮如の布教により帰依し、創建・改宗された寺院が多く見られます。また織田信澄(信長の甥)が築城した大溝城。
江戸時代に伊勢上野(三重県津市)から転封した分部光信が大溝藩初代藩主となり、陣屋や城下町を造りました。
この大溝城跡や陣屋総門は、今も市民の手によって大切に保存されています。北方領土探検の先駆者近藤重蔵終焉の地であることから遺品も残されており、関係者の方や、多くの研究家が来館されます。
当館には、市文化協会高島民具クラブが中心となって、昭和51年から収集された民具が数多く保存されています。毎年、2、3月頃になると、小学校3年生の子ども達が「むかしのくらし」の学習のため訪れます。

平成17年1月、高島郡は合併によって高島市となりました。当館も高島市立となって、対象の文化財も市内全域に拡がりつつあります。
今後も先人達の残された資料を守り、幅広い年齢の方々に親しまれ利用していただける施設になればと思います。
館長 峯森 清嗣
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