近江歴史回廊倶楽部

湖北の歴史文化施設

長浜城歴史博物館
 
秀吉の長浜城

JR北陸本線、長浜駅下車、目を西に向けると天気の良い日には紺碧の湖、琵琶湖に抱かれるように小柄の城が見える。この城が秀吉出世の長浜城である。すなわち江北の雄小谷城(オダニジョウ)の浅井長政を天正元年(1573)に討ち滅ぼして、今浜の地に長浜城 (ナガハマジョウ)を建てたのである。湖北の中心都市―城下町としての発展がこの時から始まるが、後、彦根城の築造とともに湖北支配の役割を彦根に譲り、ちりめんを中心とする商業都市として独自の歩みを続けることとなる。その繁栄振りは、巧みの技を結集して、江戸時代中期から熟成されてきた十二基の絢爛豪華な曳山(ヒキヤマ)に見ることができる。

城郭型の博物館

 さて市立長浜城歴史博物館は、昭和58年4月、城郭型の博物館として産声を上げた。すなわち本館の外装は、二層の大屋根に望楼をのせた初期天守の様式で、元和元年(1615)以降廃城となり姿をとどめなかった「秀吉の長浜城」を再興しようという市民の熱意によって、天正期の城郭を想定し設計されている。
 展示内容は、長浜を中心とした湖北の歩みであり、縄文時代から現在にいたるまでの歴史展示である。その一部を紹介すると

湖北のあけぼの

 縄文時代早期に人々の生活が始まって以来、湖北地域は、様々な生活相を示しながら、生成・発展してきた。ここでは、湖北で発掘された縄文時代早期から奈良・平安時代までの遺物を通して、湖北人の生活や文化を、@湖底遺跡の謎(葛籠尾崎(ツヅラオザキ)湖底遺跡ジオラマ)A縄文時代のくらしB弥生文化の受け入れC地方の王のなりたちD湖北の古墳(スライド)E仏教の受け入れFひろまる律令制度、の七つの小テーマから考えていく。

秀吉と長浜

湖北は室町時代末期から安土桃山時代にかけて、織田信長、豊臣秀吉の天下統一への胎動のなかに巻き込まれていった。特に長浜は、秀吉が一国一城の主となった最初の拠点であり、彼の城下町経営の基本パターンを醸成したところでもある。ここでは、秀吉と長浜の関わりを焦点に、その前史を@浅井三代と湖北で、秀吉と長浜築城以後をA秀吉の長浜築城(築城ジオラマ)B戦国合戦と湖北・長浜C秀吉の足跡(秀吉の行動を四つの時期に分けて追跡する・トライビジョン)D長浜時代の秀吉E町衆と曳山F石田三成と近江衆、の六つのテーマからみつめる。

国友の鉄砲鍛冶と一貫斎

 近世の胎動過程に堺と並ぶ火縄銃の二大生産地の一つとして重要な役割をにない、湖北をクローズアップさせた国友(クニトモ)鉄砲鍛冶集団は、近世初期の大量生産期以後需要の激減とともに漸次低迷し、様々な活路を見出そうとした。ここでは、国友鉄砲鍛冶の江戸時代のあゆみと国友鉄砲の特徴、さらに低迷する鍛冶集団の中にあって職能的科学者として光彩を放った国友一貫斎(イッカンサイ)の業績を、@火縄銃の構造と美(火縄銃の分解・製作道具・作例)A国友の鉄砲鍛冶B科学者一貫斎Cその後の鉄砲鍛冶D長浜の鍛冶たち、の五つのテーマからふりかえる。

近代化のあゆみ

旧長浜町内を南北につらぬいて北国街道という道がある。かっては文物の流通の中心として栄えた道であり、現在でも街道沿いには多くの商家型民家をみることができる。
民家は北国街道の東西に紅殻格子(ベンガラゴウシ)の表をみせて向かい合っているが、何れもやや背の高い中二階、桟瓦葺(サンガワラブキ)でむしこ窓を認めることができる。またソデ壁とよばれる防火壁を持つ家もある。
ここにとりあげた郡上町の町家は縮緬問屋、油屋、昆布屋などであるが、長浜の商業を中心とした繁栄ぶりをよく示している。

入館者とともに

本常設展示では、実物資料陳列を中心とするが、複製資料や図・イラスト・視聴覚機器を積極的にとりいれ、入館者の「参加」の余地を残した展示をめざしている。「秀吉・長政・おね、の声を表現したモンタージュボイス」や「ビデオでみる長浜」などはその一例といえる。
 なおこれらの展示資料は文化財の保存のためまた常設展示の内容充実のため、定期的に陳列替えされている。
 また特定のテーマにそって年二回の特別展を開催、それぞれ記念講演会、展示説明をおこない、図録、シートを作成している。

博物館友の会
年二回の歴史探訪(臨地見学会)、研究部会を中心とする見学会、研究会、講演会などを実施している。
 以上のようにスタッフは少人数ながら、地元に密着した歴史展示、開放された博物館を目指して活動を続けている。

さらに詳しくは こちら をご覧ください。

(長浜城博物館 学芸担当)



       

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