近江歴史回廊倶楽部

歴史解説・紹介

  「茶」の歴史を探る


私たち人類はいつから茶を利用するようになったのでしょう。その始まりは、およそ4700年以上も昔の中国であったと推測されます。

茶樹の発現は7・8千万年前とする学者もいるが、人類の社会生活の始まりと共にあったと言っても過言ではないといわれています。

 伝説の一つに神農起源説がある。人類に農耕栽培・薬草のことを指導したとされる神農が一日百種類もの野草を食べ、70種の毒にあたったとき、茶によって解毒したとされています。「中国茶史散論」には「茶は人類の祖先が最初に発見した薬草」と指摘されている。

 病人にとって有効な薬品はありがたく、尊いものであり、当然神秘的な霊草として、他の植物とは異なる扱いをされ、神仏に奉られる特別の飲み物であった。

 茶は高貴・高価なものであり、皇帝を始め、上流僧侶などごく限られた人々に飲まれるようになり、尚一層価値が高まり、扱いが重々しくなる。貴重な品を高貴な人にささげるところから、茶器、茶の入れ方、供茶の仕方に特別細かな注意が払われ、手前、作法など儀礼的な行為が必然的に誕生していった。

 唐代には禅宗寺院を中心に広く普及し、儀礼的な作法も確立されていった 日本での茶の起源は、各地に自生していた「山茶」とする説と、帰化人、遣唐使、入唐僧、来日僧によって渡来したとする説がある。

 奈良時代に始まったとする史料もあるが、信頼できる史料は「日本後記」に嵯峨天皇が滋賀の韓崎に行幸され、梵釈寺の永忠僧都が手自から茶を煎じて奉御したのが、正史に現れる最初である。

永忠は35年間唐に滞在しており、唐に普及していた飲茶の風習には通暁していたであろう。 805年に最澄と共に帰朝している。 最澄は坂本に「日吉茶園」を拓き、今日にまで伝わっている。このころの茶は唐風の飲茶・団茶であった。

 1191年栄西が南宋より2度目の帰朝の時持ち帰った茶を筑前の背振山に植え、1210年頃栂尾の明恵上人に分けられ、さらに宇治に広まって宇治茶となり、日本各地へ広まっていった。

 栄西は1214年、喫茶の知識と体験をまとめた「喫茶養生紀」を鎌倉三代将軍源実朝に献上し、時の権力者が好んだことにより、瞬く間に日本各地に喫茶の習慣が拡がった。
 栄西のもたらした茶は南宋禅院で用いられていた抹茶あり、主に薬効を目的としたものであった。

薬としての茶の量産が可能になったことにより、嗜好飲料として味を飲み分けるゲームへと展開する。南北朝の動乱の中から登場して来た新興武士層は、伝統的なものより、異国異体というべき珍奇なものに興味を強く示し、バサラ大名等は、仲間を集めて茶寄合を開き、派手に飾り立て闘茶の懸物に高価な唐物と呼ばれる中国製の工芸品を振舞った。皮肉なことに後の日本の工芸技術や美意識に大きく影響を与えることになる。

 室町時代、武家や貴族の室内ゲームだけでなく、庶民の中にも次第に拡がっていった。
 光台寺の盂蘭盆会の行事で茶の接待があり、諸人は施茶を求めて群集したとある。また東寺南大門前や洛中の行楽地には一服一銭の茶商人や、担い茶屋なども出始めている。

 利休が極めた侘び茶が時の権力者よって受け入れられることになり、次第に茶の湯は武士や貴族の中で繁栄し、政治に利用されていった。

 江戸時代の初め道教、老荘思想と共に煎茶道が文人・文化人の間に流行していった。
幕末、佐幕派は抹茶、勤皇派は煎茶と分かれて争ったこともまた興味深いものです。
争いに勝った勤皇派の志士は地方官僚となり全国に広まり、今日に至っている。

(佐々木)

 
       

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