近江歴史回廊倶楽部

歴史解説・紹介

  古刹 善水寺

 JR草津線の甲西・三雲駅の中間辺りから北を望むと、通称十二坊と呼ばれる405.5mの岩根山が横たわり、緑の樹々の間から茶褐色の屋根が見えます。

これが、奈良時代和銅年間(708〜715)元明天皇の勅命により鎮護国家の道場として草創された、天台宗の岩根山善水寺で、当時和銅寺と称していました。


延暦年間(782〜806)伝教大師最澄が比叡山を開創され堂舎建立の用材を甲賀の地に求められ時、野洲川河岸で材木の筏を組みましたが、日照続きのため、河水が少なく材木を流すことができなかったので、大師は請雨祈祷のための浄地を探されたところ、岩根山の中腹に一筋の光が射していましたので、光に誘われるまま当地に登られました。

山中の堂の東に百伝(ももづて)の池があり、池中より一寸八分の閻浮檀金(えんぶだごん)の薬師仏を勧請され、その薬師仏を本尊として、請雨の祈祷を修めたところ、大雨が一昼夜続き、流れの勢いで材木は川を下り、琵琶湖を横切り、対岸の比叡の麓に無事着岸したといいます。

また都で桓武天皇がご病気の際、大師は霊仏出現の池の水を以って、薬師仏の宝前で病気平癒の祈願を修めて7日、満行なってこの霊水を天皇に献上したところ、忽ち平癒されこの縁あって善い水の寺として、「善水寺」の寺号を賜わりました。

本堂は前二間が礼堂(外陣)中二間通りが正堂(内陣)後一間が後戸、礼堂の周囲は、内開きの蔀戸(しとみど)、正面は向拝がなく、美しい屋根の曲線が覗えます。

本寺には、本尊薬師如来(正暦(しょうりゃく)4年(993))をはじめ、金銅釈迦誕生仏、梵天、帝釈天、四天王、僧形文殊菩薩、金剛力士、持国天、増長天、不動明王、兜跋毘沙門天、聖観世音菩薩、十二神将等三十余躯の仏像が安置されています。本堂の外にも、観音堂、元三(がんざん)大師堂、行者堂等があります。

この岩根山を十二坊と呼ぶのは、ここに十二の坊があったからです。善覚院、中之坊、岩蔵坊、持蓮坊、宝泉坊、角心坊、善明坊、浄心坊、大門坊、宝乗坊、実蔵坊、角之坊、これらは宿坊ではなく、いずれも僧坊でした。

本堂真北の頂上を医王山といい、ここに壷が埋められていて、どんな日にも壷の中には水があり、伝教大師の請雨祈祷御修法の旧跡と伝えられています。

東南には、東西6m、南北5.5m、高さ8.2mの巨岩があり、その上部に文亀(ぶんき)4年(1504)の年記名のある磨崖不動明王が刻まれています。本堂東の百伝(ももづて)の池は、近江の古い絵地図にも大きく描かれ、古歌にも詠まれています。
 くちなしに いかでか匂はむ  百伝の岩根の池の 山吹の花   ( 夫木集 公朝 )

 信長の焼討ちの際、本堂の囲いに松明(たいまつ)を掲げ、あたかも本堂が燃え立っていると見せかけて、難を逃れたと言い伝えられています。甲賀のかくれ里に、名刹が残ったのは幸いでした。

(湖南市在住 大森 みどり)


       

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