近江歴史回廊倶楽部

  歴史解説・紹介

   扶桑城郭志


 「扶桑」というのは、もとは古代中国において東方の海上にあるとされた神木という意味でしたが、それが島国を指し示すようになり、日本の異称となりました。

『扶桑城郭志』は、日本の城郭についての記録、つまり城絵図ということになります。

 江戸時代初期の正保年間(1644〜48)、幕府が諸藩に城絵図を提出するよう命じましたが、このことが盛んに城絵図が製作される契機となったといいます。

『扶桑城郭志』には、その手本となった資料があります。それは『主図合結記』(しゅずごうけつき)と呼ばれる城絵図を写したもの(写本)です。

『主図合結記』は、東北から九州におよぶ城郭の絵図と城主の変遷が記されたものです。
軍学者山県大弐が収集したものとされています。

城絵図を見て諸国の城郭の配置や構造を知ることは、軍学の上では大変重要な資料でした。このため、多くの写本が製作されたのですが、その内容は一様ではなく、収載されている城の数もマチマチです。

また、城によってはあまりにも現実とかけ離れている姿に描かれている場合もあり、実見せずに情報だけで書き記したことがわかります。また資料の形態も冊子装になっているものや、巻子装になっているものなど、さまざまです。

さて、『扶桑城郭志』を見ると、近江では彦根城、水口城、膳所城が収載されています。膳所城は湖畔へ突き出た本丸と二ノ丸が特徴的です。

                          扶桑城郭志 膳所城


2行目以降「京極宰相高次6万石居城大津」「慶長5年に若狭ノ小浜ヘ」とあります。
最終行には「同隠岐守康慶」の名が見られ、膳所藩四代藩主までの名を見ることができます。

こうした城絵図に採録されている城郭には、今でもその姿を留めているものがあります。江戸時代の絵図を見てさまざまに研究するだけでなく、古い資料を参考に現在の姿を見直してみる、こうした作業も通してふるさとの歴史に触れるのも、歴史を勉強する一つの醍醐味ではないでしょうか。



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