近江歴史回廊倶楽部

  歴史解説・紹介

   大武陵桃源 広瀬柏園 筆図
  
 〜琵琶湖文化館蔵品紹介(その5)〜


 広瀬柏園(ひろせ はくえん)は、名を明、字を十哲と称し、柏園・老幅軒などの号がある。

享和元年(1801)、町人代官の子として彦根四十九町(現 城町)に生まれた。
柏園は初め井伊家に仕えたが、のち大津に出て、三井寺の円満院門跡・覚淳法親王に仕えた。

 円満院門跡といえば、芸術家のパトロン的な存在としても有名である。安政2年(1855)年より始まった安政度内裏造営に際して、当時京都を中心に活躍していた画家が総出で障屏画を完成させたが、その中に広瀬柏園の名がある。

この一大事業に柏園が参加できた背景には、円満院覚淳法親王の尽力があったことは言うまでもない。柏園が担当したのは、京都御所内の皇太子の御殿である御花御殿の南御縁座敷中仕切りの杉戸絵であり、表裏二面には、柏園が得意とした中国故事が描かれている。

 「武陵桃源図」もまた、中国故事によるもので、武陵の漁夫が道に迷って、桃花が咲き乱れる仙境にたどり着き、その村で歓待を受け、帰るのを忘れるほどの穏やかな時を過ごしたという、「桃源郷」の語源になった故事を描く。

下図は、桃花が咲き乱れる山深い仙境の地に集う人々を表したものである。



 柏園はこのような中国故事を題材にしたものを得意とし、多くの作品を残しているが
、俳句にも優れ、「湖上半漁」の俳名を用い、得意の絵をいかして洒脱な俳画も多く描いている。本図の人物の描写が、やや俳画風なのは、いかにも柏園らしい表現である。

 大津を活躍の場とした柏園の事跡を示す作品として、大津祭り曳山「神功皇后山」の天井画がある。柏園にしては珍しい花鳥図であるが、丁寧な描写が印象的である。曳山の天井画を描くということは、大津の町衆に認められたという証しでもあった。




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