近江歴史回廊倶楽部

  歴史解説・紹介

  しこぶちフォーラム
       


 『安曇川の筏流しと「しこぶち信仰」の歴史をふりかえり、高島市の山村文化と地域林業を未来に引き継ぐために』 平成26年月十16日(日) 高島市朽木市場やまびこ館にて「しこぶちフォーラム」が行なわれた。

「しこぶち」とは安曇川流域で祀られている筏流しの守り神である。

安曇川は長さ57.9Km、流量毎秒17tほどあり、琵琶湖に流入する河川の中で一番流量が多い川である(滋賀県環境白書資料編2004〜2008)。
流域に広大な森林原野を持ち保水力が高い、冬の積雪量が多い、雨が多く降るなどの自然環境がある。源流は京都府左京区大原大見・大原百井・久多、滋賀県高島市生杉・小入谷・木地山などである。

これら源流のある山々は奈良時代以前から杣(そま)と呼ばれた木材の産地として知られ、河川や琵琶湖の水運を利用して奈良や京の都の造営の建築用材として木材を供給してきた。その運搬手段として最も利用されたのが筏流しである。

木材はスギの50〜60年生、ヒノキの80年生くらいのものを標準として、梅雨明けから伐採された原木は4〜5m長さに玉切りして集積され、秋まで山中で乾燥させた後、ソリに乗せキンマ(木馬)道という桟道や冬の積雪を利用して引き出したり、谷川をせき止めて発生させた鉄砲水にのせて、本流の川岸まで搬出した。

ドバやオオドと呼ばれた川の合流点の作業場でイカダに組まれ、春の雪解け水、梅雨時、台風などで水量の多いときを狙ってイカダを流したのである。

イカダの基本構造は材木を25mほどの幅に横並びにしてマンサクの木で作った縄(ネソ)で結束したものを一連といい、上流域では5〜6連、中流域からは8〜10連を縦に連結した。

イカダには筏乗りが通常3人ほど乗りこんで、カジ棒(ネジキ)とコブシの木で作った棹を用いて巧みに操作した。ネジキや、コブシの木でないと川の流れに負けて折れてしまうそうである。

それほどの激しい流れに乗る危険な仕事であったため報酬は普通の山仕事の3倍といわれ、昭和前期の山間地ではあこがれの職業であった。

また、筏乗りたちは難所を乗りきるためにいろいろな工夫をした。イカダの航行をしやすくするため川の浚渫や岩石の除去をして流路を確保し、川の状況の変化を情報交換するために、岩・瀬・淵に名を付けた。

そして、航路の安全を祈り、手を合わせたのが「しこぶちさん」と呼ばれる神様であった。

                                    安曇川中野の思子淵神社
安曇川流域には「シコブチ」という名の神社が15社、神社跡が2社、講が2つある。これらの神社は安曇川流域の山間部に位置し、筏乗りにとって難所が多かった所や、谷川の合流点、木材加工の作業場など筏流しや山仕事に関わる場所の近くに祀られている。

「シコブチ」という恐ろしい名だが安曇川の筏流しの安全を見守る神様である。
シコ→醜い、恐ろしい、強い
フチ→川の深み、苦しい境遇

「しこぶちさん」の昔話がある。
昔々…朽木村の筏師[しこぶちさん]が材木を筏に組んで息子と川を下っていると、続が原の日ばさみという所で岩のかどにあたって立ち往生した。ふと見ると一緒に乗っていた息子の姿が無い。水中を探すと一匹のガワタロウ(河童)が息子を小脇に抱え、川底にいた。そこでしこぶちさんはガワタロウを戒めて息子を救い出し、筏を流していった。ところが中野の赤壁という大淵まで来ると、またガワタロウが邪魔をした。しこぶちさんは大いに怒り、ガワタロウを捕まえ散々に懲らしめ、筏乗りには二度と手を出さないと誓わせた。以来、しこぶちさんは川の悪者を退治する強い神様として祀られるようになった。

 1200年以上続いた安曇川の筏流しも昭和初期には衰退していった。
水力発電用のダム建設が始まり、道路が整備されトラック輸送が発達した。また、戦争で多くの若者が軍に招集され筏の乗り手がいなくなり、川つくりも出来ず、筏の流路を整備する事が出来なかった。

筏流しは昭和23年を最後に行なわれなくなった。そのため、シコブチさんの存在も忘れられていった。

 今日、安曇川の環境変化は大きく、筏流しが行なわれていた頃の風景は想像するのが難しくなった。しかし、筏流しが行なわれていた頃の川はそこに棲む生き物や、流域の生き物たち、人間にも優しい環境であったといえるのではないだろうか。今一度、安曇川での筏流しを見てみたいものである。
           
                                                       (中田)


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