近江歴史回廊倶楽部

  歴史解説・紹介

     梵鐘を守れ!
     
戦時下の公文書から見えた裏面史

 
 平成25年11月21日、滋賀の文化財講座の第7回目として標記のテーマをお話ししたところ、幸い多くの方に興味を抱いていただいたので、誌上を借りて近江歴史回廊倶楽部会員のみなさんにも、話の要点を紹介させていただく。

1.「金属回収除外申請」公文書簿冊
 昭和16年(1941)に公布された「金属類回収令」に基づき、翌年各県が回収実施要綱を定め、民間団体等とも協力して本格的な金属回収が進められた。

滋賀県においても昭和17年以降「不要仏具献納運動」が盛んに進められ、梵鐘などの大型金属類が回収されていく。
全国的に展開された回収の結果、文化財である梵鐘の約9割が失われてしまった、といわれる。

県内から「出征」する梵鐘は、応召兵さながらに赤い襷を掛け、幟を立てて地域挙げて盛大に見送られた。

兵器生産という戦争遂行の直接的な目的のため、先人が生み出し長年にわたって受け継がれてきた文化遺産を自ら無に帰すという判断が、県内各地でも行われたのだった。

しかしながら、そうした中でも地域の文化財を懸命に守ろうとした人々が存在した。彼らが注目したのが、県制定「昭和17年度第2期金属類特別回収実施要綱」の例外規定である。

要綱では供出の除外物件として、直接の信仰対象となる金属仏像や神鏡・十字架などと並び、「歴史上美術上又ハ当該神社、寺院、教会ノ由緒上特ニ保存ノ必要アリト県ニ於テ認メタルモノ」を掲げている。
県が「歴史上、美術上、由緒上」保存の必要性を認めた物件については、供出しなくても良いわけである。

梵鐘には、銘文に刻まれた社寺の由緒や村の歴史、先人による寄進の交名や制作鋳物師の名など、地域における歴史の証人として貴重な記録をとどめている。

また、朝夕や非常時に打ち鳴らされる梵音が、共同体の紐帯を感覚的に象徴するものとして先祖代々親しまれており、厳しい総動員体制のなかでも、保存を熱望する所有者や地域があった。

そうした地域は、県に対して要綱規定にもとづく「除外申請」を提出し、地域に伝えられた梵鐘の由緒や価値を強く訴えながら、保存の認可を求めるべく努力したのだ。

          除外申請の表紙

 かくして県に提出された申請書類と、それを受けて供出除外の可否を審査した公文書を編冊したのが、文化財保護課に現在も伝わる「金属回収除外申請」公文書簿冊である。

簿冊はなぜか戦後に県庁文書庫へは引き継がれず、長らく課内に伝来してきた。戦後混乱期に廃棄処分とされたものが文化財技師によってひそかに保存され、伝えられてきたものかとも考えられるが、正確な事情は明らかではない。

2.地域文化財保護をめぐる戦時下の葛藤
 公文書簿冊に編綴される回収除外申請書は35件。それぞれに、町村や郷土史研究団体等による副申書、銘文の謄写・見取図・拓本・写真など、詳細な説明資料が添えられている。


35案件のうち除外認可となった案件が31件、不認可と考えられる案件が1件、のこり3件は回議書欠失等のため結果が不明である。ほとんどの案件が供出除外を認可され、保存すべきこととされたことがわかる。

 認可の起案をおこなったのはすべて、当時滋賀県技師であった日名子元雄(1911〜94)である。

日名子は昭和14年(1939)に建築技師として採用。文化財集中県である滋賀県における国宝建造物の修理工事を指導する責任者という、重い立場にあった。その彼が監督技師の職務のかたわら、金属回収除外という難問に取り組んだのであった。

日名子は、規定の資料を添えて申請書が提出されてきた除外候補について、基本的に認可する方針をとった。保存認定の理由として
(1)歴史資料としての価値
(2)美術上の保存価値
(3)寺院、地域にかかる由緒上の価値
による3分類を立て、個別案件をそれぞれの理由に当てはめて、認可するよう起案している。

認可31件のうち、最も多いのが(3)の18件で、全体の半数以上を占めている。寺院や地域の歴史を語る史料としての梵鐘の価値を高く評価したのだ。
詳細な資料を添えて所有者から提出された保存の熱意を、正面から受け止めた結果といえるだろう。

ところが、日名子技師に対して、いわば「横槍」を入れてきた人々もあった。簿冊から明らかにできる例のその一は国策協力団体、一は県庁内政部地方課長である。

国策協力団体の件は、昭和17年12月3日付で日名子技師あてに「進言」と題する文書が出されたものである。

その団体は昭和17年10月28日に県が認可した坂田郡内寺院の梵鐘について、「地元に於いて反感誠に多い」とし、再調査のうえ「悪影響更ニ無之様善処相成度」と日名子に要請した。


                             萬松院拓本

もう一つの事例は、滋賀県内政部地方課長からの「実地調査依頼」である。同じ県庁の内政部に属する地方課長から教学課長宛に、和文タイプライター打ちの公文書として課長印を押印した上で野洲郡内(現守山市)の3寺院の梵鐘について疑義の申し立てがあったのだ。

理由は「該村並びに隣村の風評芳し」くないから再調査せよというだけで、具体的に何に疑問があるのかを示さないなど、たちの悪い露骨な「横槍」であった。

上記2件は再調査の結果、認可の決定をくつがえす結果には至らず、いずれも保存されて現在に伝わる。なお、昭和18年(1943)4月、日名子元雄は臨時召集を受けて西部第17部隊に入隊した。

梵鐘供出の除外認可と臨時招集に関係があるのかどうかは不明だ。ただ、高等文官の地位にあった日名子が敗戦による復員まで、一等兵から昇進しなかったという軍歴は異常で、当時の重苦しい時代相を感じずにはいられない。

金属回収除外申請簿冊には、戦時下の逆境の中で地域の文化財を守り伝えようとする県民と文化財技師の熱意が記録されている。

また同時に、文化財保護に向けた熱意に反発した人々との厳しい葛藤についても示唆するところが大きい。

平和な今日、「文化財を守る」ことに異議を唱える人は少ない。だが、先の大戦時におきたような国民的熱狂の中で、再び文化財の大量処分が行われる可能性が、将来にわたって皆無とはいいがたい。

そうした中で、地域文化財を守った史実の記録が持つ価値は極めて高いといえる。何のために文化財を守るのか、誰のために文化財を守るのか、誰が守るのか。文化財を守る意味について、強く問いかけてくる貴重な簿冊である。

                                             (県文化財保護課 井上)


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