近江歴史回廊倶楽部

  歴史解説・紹介

   渡 猿猴 図
     
森 狙仙 筆

 
 あるものをあるがままに、見たとおりに描く。
今日ではあたりまえの「写生」が始まったのは、それほど古いことではない。江戸時代後期、そのあたりまえのことやってのけたのは京都の円山応挙(1733〜95)である。

応挙は、西洋の銅版画や洋風画、中国画などから、遠近法や陰影法などの最新の技法を研究し、「写生」という新しい画法を確立させたのである。

この斬新な画法は、当時の絵画界全体を揺るがすほどの大きなうねりとなり、「本物のように描く。」という写実的な絵画が求められるようになり、「精密に描く。」というリアルに描く面白さなども生まれてくる。

そうした流れの中で、特段の進化を見せたのが動物画の世界である。
従来から動物画は、単に動物を描いたものではなく、人々が自然を畏れ、敬ってきたのと同様に、「神仏の使い」という信仰的な意味合いを持っていたし、鹿は「禄」と音が通じるので富を表し、猿は災難が「去る」など一種の語呂合わせもあるが、往々にして動物画は「吉祥画」でもあったのである。

 「写生」は、よく観察することであり、観察を続けると表面的なものから内面的な本質に迫ることができる。

泣いたり、笑ったり、怒ったり、もの思いにふけったり、動物に人間的表情を与え、擬人化することは、画家の深い愛情の表現でもある。
そうした画家の中から、ある特定の動物に特化した画家たちが現われた。

「子犬」の円山応挙、「虎」の岸駒(1749〜1838)、「鼠」の白井直賢、「鶏」の伊藤若冲、「鹿」の東東洋(1755〜1839)、そして「猿」の名手と謳われたのが森狙仙である。

 森 狙仙(1747〜1821)は、江戸時代後期の絵師。通称は八兵衛、名を守象、字は叔牙と称した。祖仙、狙仙、如寒斎、霊明庵、霊猫庵などと号し、屋号である花屋も用いた。

その生涯については、残された資料が少なく、かなりの部分が不明である。出生地からして、大坂、西宮、長崎と諸説があるが、大坂を中心に活躍した。

1747(寛延1)年、絵師の森如閑斎の子として生まれる。狙仙には、陽信(1736〜1808)・周峰(1738〜1823)という二人の兄がおり、三人はともに父の影響を受けて成長し、三人とものちに絵師となって活躍する。

狙仙は、はじめ西宮の絵師・勝部如春斎について狩野派の画法を学び、この時「如寒斎」と号した。1784(天明4)年、師の如春斎が没したあたりから、沈南蘋や円山応挙の影響を受けて画風を変え、写実を重視するようになり、写生を基調にした動物画を多く手がけるようになる。

その中でも特に「猿」を得意としたが、猿画の名手との評判を得るまでには血のにじむような苦労があったという。
その頃の狙仙の猿画に対する執念を伝えるエピソードがいくつかある。

猿画を習熟するにあたって、猟師に猿を生け捕りにしてもらって写生したが、「これは飼いならされた猿だ。」と知人に指摘され、こんなことでは本物の猿は描けないとして、山の中に入り、自然に遊ぶ猿を観察することに数年費やしたという。

また、ある神社に猿の絵を描いた絵馬を奉納したところ、そこにいた本物の猿が怒り、飛びかかったというエピソードもある。


                       

「狙仙の猿」の特徴は、細かい毛の描写を重ねる「毛描き」という技法を駆使し、実感豊かに立体感や質感を表現したところにある。

このような描法は、18世紀に日本に入ってきた中国の沈南蘋風の細密画の影響から生まれた一つの変化形と見ることも可能かもしれないが、祖仙の動物の捉え方は、やはり独特である。

まるで動物が、人と同じ感情を持っているかのようである。そのポイントは、目と動きであろう。その動物のさまざまな連続する動きの中から、絶好の仕草や一瞬の動きを表現するのに長けていたのである。

狙仙の次兄、森周峰も絵師であり、お互い実子がありながら、それぞれの子を交換するように養子としたのである。

二人の間にどのような事情があるか知る由もないが、血縁より画系を重んじたのであろうか、不思議な話である。狙仙は、兄周峰の子・徹山を養子に迎えて跡継ぎとした。

徹山は実父と養父に学んだのち、円山応挙に弟子入りし、やがて応挙にその実力を認められ、応挙の実子・応瑞の妻の妹を妻に迎え、応挙と親類になったのである。

狙仙、徹山と連なる画風は、徹山の娘婿となった森一鳳、同じく徹山の養子となった森寛斎へと継がれていったのである。

狙仙は、還暦を迎えた1807(文化4)年に「祖仙」と称していた「祖」の字を、猿を意味する「狙」に改めた。

晩年に至っても、精力的に制作に励み、1821(文政4)年、75歳の波乱の人生を閉じた。

墓は大阪北区の西福寺にある。残されている作品は圧倒的に猿を描いたものが多い。柔らかな体毛の質感を表現する技術、猿の生き生きした表情やユーモアな仕種を描く構成力、巧妙な擬人化による親しみやすさなど狙仙ならではのものである。
また、その他の動物画にも秀逸なものが少なくない。反面、山水画や人物画はほとんどない。



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