近江歴史回廊倶楽部

歴史解説・紹介

   滋賀県の地震被害

 
 記録上、日本最古の地震は、「日本書紀」允恭天皇紀に「五年秋七月丙子朔巳丑、地震」とあり、天武紀には「山崩れ河湧く。諸国の郡の官舎、及び百姓の倉屋、寺塔神社、破壊れし類、勝て数ふべからず」と、建物が無数に崩壊した様子が書かれています。
「大潮高く騰りて、海水飄蕩ふ。是に由りて、調運ぶ船、多に放れ失せぬ」と、大津波により船が多数流された被害も書かれています。

 琵琶湖には90もの湖底遺跡が存在するとのことで、主なものとして、葛篭尾崎、多景島、粟津などがあるが、尚江千軒遺跡が沈んだ原因について、地震による地滑りだったとの研究が、滋賀県立大学、京都大学が発表しています。(2007年10月)

遺跡に残る筑摩神社に伝わる正応4年(1291)の古地図には、「西邑」「神立」といった現存しない集落名が、現在は湖面になっている位置に記載されており、1325年に起こった「正中2年地震」が原因として有力視されているそうです。

 時代が下り、記録の上でも滋賀県の被害の模様が出てきていますが、竹生島の半分が、湖底に沈んだとは驚きです。

安政年間に2回もの大地震が起こったのも初めて知りました。
明治の姉川地震では、琵琶湖でも一種の津波や液状化現象が起こっていることが記録の上から分かり、伊吹山の大崩がその時のものだとの認識を新たにしました。

これからも、比良山脈の西側には花折断層が、東側には琵琶湖西岸断層が存在し、ここ20〜30年の間に活動すると云われています。

今回の東日本大地震でも、貞観の大地震(869年)の再来だとの指摘もあり、1200年前に東北地方を襲った地震・津波と被害地域が重なります。

度々の大津波により被害が出ていた所では、教育委員会が徹底した防災教育をし、生徒に一人の犠牲者も出ない市がありました。

しかし、学校児童の75%が犠牲になった悲惨な学校もあるとのことです。特に後者の場合、平野の大きな川の側であったから、津波のことは全く頭に無かったものと思われます。

また、多くの住民が亡くなった仙台市荒浜地区も、海岸から5粁以上も離れていた為、津波がここまで来るとは考えていなかったのでしょう。が、その地区の小高い所に「波分神社」が存在します。

貞観地震の時はそこまで津波が押し寄せたとの記憶を後世に残そうとした先人達の知恵に頭が下がる思いです。

旧田老町(現宮古市)では、明治以降の大津波での度々の犠牲により、高さ10mの大堤防を延々2,4粁も築き、世界的にも有名でしたが、今回の津波は軽々と乗り越えて、甚大な被害をもたらしたとのことです。

でも住民にはその万里の長城の大堤防に頼ることなく、大地震と共にいち早く高所に逃れたので、人的な被害は最小限に抑えられたそうです。

 大自然の猛威に対し、科学の進んだ現代でもどうする事も出来ない人間が、古代に於いて自然現象に慄き、自然崇拝が進み宗教にとなっていったのは間違いないでしょう。怖れを祈りにと、考える時機ではなかろうかと思う次第です。

地震調査研究推進本部HPに掲載された滋賀県の地震
@ 1185年 文治元年 M7,4 比叡山の諸建物崩壊、三井寺に被害
A 1325年 正中二年 M6,5 竹生島奥の院琵琶湖に没入、島の半分湖底に没入
B 1586年 天正十三年     長浜城全壊、山内一豊娘圧死
C 1596年 慶長伏見 M7,5 伏見城崩壊、粟田郡東町辺りで死傷者多数
D 1662年 寛文二年 M7,6 比良岳附近で発生、榎村で死者三百名、町居崩れ、朽木の二つの村消失
E 1707年 宝永   M8,6 日本史上最大級、断層の長さ六百粁ともいわれる
F 1819年 文政   M7,2 滋賀県全域で震度五
G 1854年 安政   M7,2 京都、滋賀、奈良、三重の府県境で発生(七月)死者千三百名、(十二月)に安政南海大地震、津波発生
H 1891年 濃尾   M8,0 岐阜根尾で上下六米の断層
I 1909年 江濃姉川 M6,8 伊吹山一部崩壊、姉川河口湖に没す、1,8米の波が押し寄せる、三角州で六箇所から泥水高さ2,5米噴出
参考 869年 貞観   M8,9 日本三代実録に死者千人、今回の東日本大地震津波と類似


                                                     (幸田)



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