近江歴史回廊倶楽部

歴史解説・紹介

   三上山蒔絵台(県指定文化財)
     
 〜琵琶湖文化館蔵品紹介(その1)〜

中央、やや盛り上がった場所に烏帽子を被ってスックと立つ男性が、何やら難しい顔で指図をしている。そして男性の向かって右側には、笠を被った袴姿の男たちが鋤(すき)・鍬(くわ)をもって黙々と作業をしている。また、左側には足を埋もれさせながら田植えをする女性が二人。
これは、毎年5月ごろの野洲市三上で行われている「お田植祭」のルーツを表した作品である。

   

 三上の「お田植祭」の始まりは昭和の初めに遡る。大正15年(1926)に大正天皇が崩御、皇太子であった裕仁親王が即位して年号が「昭和」と改められ、皇位の継承を広く知らしめる即位の礼が11月10日、大嘗祭が同月14〜15日に執り行われることになった。

大嘗祭は、天皇が即位後初めて執り行う新嘗祭(にいなめさい)のことであり、一世で一度しか行われない。ここで供えられる米は、事前に卜占(ぼくせん)で選ばれた斎田で栽培される。昭和の大嘗祭では、滋賀県と福岡県が斎田に選ばれ、滋賀県では早速その候補地を選定するために希望を募り、県下39箇所42名の申込みの中から、野洲郡三上村大字三上に決定した。斎田の所有者である「大田主」となった家だけでなく、三上村全体が喜びにわき上がったという。

 4月9日には奉耕手(ほうこうしゅ)と呼ばれる斎田耕作に従事する人100人(田植子18・田植歌唄子18・田植踊子18・苗配り9・太鼓打3・綱引4・予備30)が選ばれ、11日には鍬入れ式が行われた。

知事により「瑞穂」と命名された籾種は苗代で順調に育ち、御田植祭は900人余りの来賓、14万人の拝観者が見守る中、6月1日から3日間かけて実施された。太鼓を打ち鳴らし、御田植歌を歌いながら苗は植えられ、畔では踊子たちが体を揺らした。

県内では時代仮装行列や餅まき、青年相撲や徒歩競争、飛行機の奉祝飛行、花火の打ち上げ、活動写真の上映なども行われ、奉祝イベントがあちこちで催された。大津市・野洲町・三上村では3日間にわたり、江州音頭が続いたという。

実りの秋を迎えた9月16日には抜穂(ぬいほ)式が行われ、18日から刈り取り、収穫された米のうち白米3石、玄米5升が供納米として合計12個の唐櫃に納められ、10月16日に京都御所へ納められた。

 本品は昭和大礼悠紀斎田の記念として滋賀県が制作したもので、円山四条派の絵師であり江戸蒔絵の蒔絵師でもある芝田是真の息子・梅沢隆真(1874〜1953)によるものである。昭和の大礼以降も御田植祭は毎年行われ、多くの見物客でにぎわっている。

                                



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