近江歴史回廊倶楽部

歴史解説・紹介

 民具をさぐる


このごろのお弁当は、いつもホカホカの保温の弁当箱をはじめ、みそ汁・スープもOKという大変すぐれた利器がお目見えしております。

戦中に生まれた私たちは、アルミの弁当箱が主流でした。学校では、弁当のフタがお茶入れになっていました。長く同じ弁当箱を使用しているので、梅干の当るフタのところが酸によって腐蝕して穴があき、お茶がこぼれたのをなつかしく思いだされます。

下の写真の弁当箱は、戦前のものですが、今のお弁当とくらべて、材質や技術に差があっても、お弁当を少しでも豊かにと願う心が生み出した容器になっています。

柳の細枝で編みあげた弁当箱、ベントウゴウリ・メシゴウリと呼ばれてきました。
ぎっしりと飯をつめこみ、梅干や生姜をあしらったつつましいお弁当の代表選手でした。
「腹いっぱい食べると力がでる」といわれ、フタが持ちあがるぐらいに詰めこんだご飯をパクついたあのニッポン人はいったいどこえいったのでしょうか。

また、ヒノキ・スギを材料として薄くへぎ、それを曲げて円形・楕円形にした弁当箱はワッパ・メッパ等と呼ばれ、在来の弁当用具としては高級感を与え、利用度も高く、長い期間利用されてきました。

なお、お弁当には水筒がつきものです。その水筒も写真のように古くから竹筒が利用されてきました。普通、太い竹幹の上下二節を残してきり、上部の節に穴をあけ、木栓を差して用いてきました。
穴の上部のソリの部分を注入口・飲口としてうまく利用しています。持ち歩きには、水筒の上部に紐をつけて腰にさげることが多かったようです。
もはや、骨とう的な価値しかない弁当箱や水筒ですが、何かしら愛着めいたなつかしさが湧きでてきます。

( 田上郷土資料館)



       

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