近江歴史回廊倶楽部

歴史解説・紹介

  坂本竜馬の妻「おりょう」の再婚相手は八幡の人

   

平成17年5月に当資料館に仏師梶谷叡正さんが尋ねて来られました。
坂本竜馬の妻「りょう」の像を彫っておられるそうで、お話しの中で坂本竜馬の没後「りょう」は再婚していまして、相手は当地出身の西村松兵衛と言います。近江八幡へ行けば色々のことがわかると思い遠路来幡されたとの事でした。

お話しに驚き、後日調べをすすめました結果、松兵衛の出身地は蒲生郡金田村とのみで漠然としています。遠くの人なら十分な出身地であろうが当方としては詳しく知りたいと願い更に手を尽くし考えたところ、西村姓の多い地域に目星をつけて実家の菩提寺を見つけようとその近くの数ヶ寺に当たってみる、手初めに親しくして頂いている「円光寺」へ電話を入れた。

意外に単純な考えが的中し、当寺が西村家の菩提寺との返事が返ってきて、松兵衛の本家西村喜左衛門家系の人が先祖の菩提を弔う為円光寺へ毎年来られていたという話しである、急いで住職に出会い色々尋ねてみると、西村喜左衛門家は明治のごく初め京都へ移住されたという話しで、西庄町の西、新道と旧朝鮮人街道との交差するところから東へ入った道沿いの耕作地が屋敷跡であると言われた。

幕末から明治にかけての話は人の出入りが少ない土地には聞き伝えで村内の盛衰を知る人が多いので、心当たりの人にも当たってみた。やはり覚えている人がありまして明治27年頃まで「地番462〜463」に住んでおられたが、土地を縁者に譲り渡し京都へ移ったと言うことです。

 さて「りょう」について、一般的には頭に「お」を付けた「おりょうさん」と呼んでいる。
字は「龍」「良」とも書くようでどれが正しいか真偽のほどはわからないので「りょう」と呼ばせていただく。

 「りょう」は才色兼備の人で、竜馬にとって似合いの女性であったろう。竜馬が姉に「まことにおもしろきおんな」と手紙にしるし送っている。おもしろき女とは、この場合心を引かれる女、味わいのあるおもしろみのある女と解され無骨な言葉の中に言い現わせない愛を感じる。

 竜馬が伏見寺田屋で受けた傷の治療のため慶応2年(1896)春、鹿児島へ旅した。湯治の間を縫うように霧島に登ったといわれ、この事柄は今では日本での最初の新婚旅行といわれている。

京都へ帰り三条の近江屋で竜馬は中岡慎太郎と共に暗殺された。

その後「りょう」は土佐の坂本家で暮すが、竜馬の姉と不仲だったようで坂本家を出て再び京都で暮すようになった。

明治7、8年頃前述の西村松兵衛と知り合ったというが、それ以前伏見寺田屋へ出入りの頃から知り合いであったともいう。「りょう」の母、楢崎貞が八日市の出身であり松兵衛の母と知り合いであったことに所以するとの説もある。

明治8年7月2日「りょう」は「つる」と改名し、蒲生郡金田村西村喜左衛門の次男弘化3年生まれ松兵衛29歳と再婚した。松兵衛は「りょう」より5才年下という。

       
                   竜馬とおりょうの像(横須賀 信楽寺)

 憶測であるが、この頃西村家はまだ西庄に家があり実家に母も健在であり、横須賀へ二人が移る際、八幡を無視して横須賀へ行けるだろうか、必ず西庄へ二人で訪れていると思えるのである。そう思うとあの「りょう」が八幡に何か残したものがないか探したくなる。

 松兵衛が横須賀に住まいしたのは何か縁があったと思える。資料館には八幡商人で灰屋久兵衛から寄贈されたアメリカ総督ペリーが入港した時の船と浦賀港一帯の絵図2幅が大切に保管されている。

久兵衛は横須賀に大店を持っていたのであるが、八幡商人の仲間として松兵衛も商いをしていたのではあるまいか、結婚した後は横須賀海軍の御用商人であったともいわれている。

 二人の間に男の子が生まれたが19才で亡くなっている。「りょう」は晩年酒を飲むと竜馬の思いで話しを若い人達によく話していたと言う。

松兵衛は心穏やかに「りょう」の話しを聞いていたのであろうか。嫉妬心がなかったのであろうか。「りょう」が「つる」と名前を変えて結婚した時から、すべてを大きく包み込む松兵衛に言い表わすことのできない「愛」があったのであろう。

 「りょう」の最期は明治39年1月、横須賀で亡くなった。

松兵衛は「おりょう」と約束通り奔走し、「おりょう」の為に立派な墓を建立した。
表の文字は「贈四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と大きく彫った。そして妹の光枝を建立者とし、自らは賛助人として名を刻んだ。横須賀市大津信楽寺の墓地に今も建つ。

ところで松兵衛の風貌であるが「お良さんの2度目の良人松兵衛さんは、背のすらりと高い、面長の、商人上がりの温厚な人であった。どっちかと言えば無口な方で、お世辞も言わなければ、おべつかも使わない。めったに怒った顔を見せた事がないという男」とある。
 (『竜馬百話』宮地佐一郎著 文芸春秋刊より)

 松兵衛は大正四年二月に亡くなりお墓は「りょう」の眠る同じく横須賀信楽寺にある。西村家の本家は京都で健在だそうだが、縁につながる人が近江八幡にお住まいと聞く。
 冒頭紹介の仏師梶谷叡正さんの竜馬とりょうの像も完成して信楽寺(横須賀市大津町)に安置されている。竜馬・りゅうの肖像画もあるとのこと、何時か訪ねてみたいと思う。

                 (寄稿:近江八幡市立資料館 館長 河内美代子 ; 聞き手:小根田)       



無断転載を禁じます Copyright(C) 2005 Oumi Rekishi Kairou Club. All Rights Reserved.