近江歴史回廊倶楽部

歴史解説・紹介

  安土城跡・伝大手道の謎
   


 安土城跡・伝大手道は平成20年度までの発掘調査の結果、推定大手門付近から幅約9m、(側溝を除くと約6m)、長さ約180mの直線状に延び、その両側には屋敷群が段丘状に並ぶという、他の城郭には見られない構造をしていたことが判明した。またこの道は、『信長公記』や『フロイス日本史』などに記述が見当たらない不思議な道でもある。

 この伝大手道(この時代において大手道という呼称の存在が確認できていないため伝とされているが、以下大手道と記す)に対して、一般的に、防御に弱い道とか、安土城は権威を示す城、見せる城であるから防御は必要ない道であるなどと評されている。

一方でこの大手道は、主郭部に清涼殿風の建物礎石が存在すること、推定大手門を中心にその両側にも門跡(虎口)が発掘され、三門形式であることなどから、天皇の行幸に備えた大手道であるとも言われている。なお、西側にはもう一つ枡形虎口をもつ門跡も発掘されている。

 しかし、発掘された現状の大手道が、そのまま行幸に備えた道と断定するには、次の三点の疑問が残る。

まず一点目に、この直線の大手道の先が、七つの折れ曲がり(通称七曲)をもつ急峻な階段となることであり、かつ、直線部を含めて階段の踏幅、高さが非常に不規則なことである。
例えば、直線部においては、階段の踏幅(奥行)が最大で約130cm、最小で約13.5cm、階段の高さでは、最大で約53cm、最小で約10cmという不規則さである。

また、折れ曲がり部においては、階段の踏幅が最大で約40cm、最小で約25cm、階段の高さでは、最大で約60cm、最小で約5cmで、ほとんどの部分で高さ約60cmの階段が連続している。

これでは通常の階段とは言えず、何らかの意図があったとしか思えない。仮にこの部分の階段を輿を担いで登れば、乗っている人は後ろ向きにひっくり返るであろう。

二点目の疑問は、大手道から清涼殿風の建物がある伝本丸跡に向かうルートである。
現在のところ七曲の6ヶ所目の折れ曲がりの辺りから、右に折れ、主郭部の下を通り伝本丸跡の南側の部分に至るルートが考えられている。

しかし、この道は、幅が約2mしかなく、それまでの大手道に比べ極端に見劣りする。また、主郭部の櫓や武者溜りから俯瞰する位置にあり、行幸の道に相応しくない。

最後の疑問は、復元が忠実にされたとすれば、直線といっても若干"く"の字であるという点である。地形的に見て、完全な直線の階段を設けることは可能であろう。中途半端なことが嫌いな信長の性格から、このような形状は許されないと考える。

以上三点の疑問を考えると、最終的には、天皇の行幸に備えた道とする予定であったろうが、当面、弱いとされている大手道の防御面を補うという意図があったのではなかろうか。

このことを考えた場合、仮に侵入軍が、前面の構えを突破して大手道を駆け上がる場合、広く直線であることから進軍は極めて容易と思い一気に駆け上がるであろう。

そのうちに、階段の不規則さに戸惑い。進軍が乱れ、左右の屋敷群からの反撃を受けることになる。さらにその先の折れ曲がり最初の部分が平面に近い階段で進軍は加速するが、次の曲がりの部分から極端に高い階段が連続するため、進軍は滞り、後ろから加速して登ってくる兵との間に混乱が起こる。

左右側面の建物や塀から鉄砲や弓で攻撃されれば大混乱となる。ここで横矢をかいくぐったとしても、その先で行き先を見失いことになる。大手道は明らかに防御を考えた構造であるといえる。

信長が本能寺で倒れた天正10年6月の時点で、大手道はまだ本来の姿として完成していなかったとすれば、『信長公記』などに大手道の記述が無いこと、七曲の道が急峻でその先が狭いこと、発掘の結果大手門の遺構が無かったこと、完全な直線でないことなどの疑問が解ける。

主郭部分や屋敷群の建築が優先したため、大手道辺りはまだ工事中であったことも考えられる。

中国(毛利)、四国(長宗我部)が制圧できておらず、天下布武も完全でない状況下では防御性を考えた、完成途上の大手道であったのではなかろうか。

想像をたくましくすれば、天下布武の目処が立った時点で、天皇の行幸を仰ぐ前提に、仮の大手道を再構築し、それに相応しい大手門の建設、真の直線で規則正しい階段、折れ曲がりを極小に抑えた本丸御殿への最短のアプローチなど、堂々たる大手道が実現したと考えたい。

その時こそ、安土城は究極の姿を現していたのではなかろうか。残念ながら、このことを証明する資料はない。信長の意図した究極の大手道の姿は、本能寺とともに散ってしまった。

                                                       (日吉)       

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