近江歴史回廊倶楽部

歴史解説・紹介

  近江水の宝・竹生島の秘宝と修理
   
 重要文化財・絹本著色北斗九星像と県指定・竹生島宝厳寺文書

 
 琵琶湖に浮かぶ竹生島は、古くから神をいつく聖なる島として特別な信仰を集めてきました。奈良時代の神亀元年(724)に行基によって伽藍が開基されたと伝え、やがて水や琵琶湖を象徴する弁財天の住み処として日本中に知られるようにもなりました。

県教育委員会では平成21年3月に竹生島を「近江水の宝」に選定しましたが、県民の目から見て琵琶湖と延暦寺、そして竹生島の選定は「水と人との関わりで生み出された近江の文化遺産」の代表格であり当然のこととする御意見も承っています。

 それほどに県民に愛され、西国観音霊場のひとつとして今も全国から巡礼者の絶えない竹生島。宝厳寺には国宝の唐門や重要文化財の観音堂・渡廊・石造五重塔、都久夫須麻神社には国宝の本殿が建ち並らびます。さらに宝厳寺宝物館には、重要文化財や県指定文化財を含む数々の美術工芸品(実物)が展示公開されており、文化財を愛し学ぼうとする人々にとって、極めて貴重な機会を提供されています。

 しかしながら、筆者がここで紹介するのは、平素は島の外に預けられている文化財についてです。
ひとつは奈良国立博物館に寄託されている重要文化財の絹本著色北斗九星像。いまひとつは長浜市長浜城歴史博物館に寄託されている県指定有形文化財の竹生島宝厳寺文書。

共通点としては、どちらもあまり県民一般には知られていないということ。また、いずれも近年文化財としての保存修理を受けているということです。

 まずは絹本著色北斗九星像から。縦105.0cm、横54.4cmの小さな絹地に、細密かつ華麗な筆致で描かれた神々の画像です。画面向かって右上から左下に向けて、雲に乗った11体の神が降下するさまが表現されています。

 よく見ると、再下方の2体は女性の姿で「陀羅尼使者」などの注記が書かれています。彼女らは「使者」として、一段低い尊格なのでしょう。その2使者の背後、画面全体の中央に鮮やかな白衣を着た7体の尊像がいます。7体はいずれも長い髪を後方に垂らし、女性の神々です。女神らはおのおの群青色の笏を手に持っていて、笏には金字で「貧狼」、「巨門」などと書かれていることから、北斗七星であることがわかります。

そう見ると、7体の並び方にも何となく、天空に輝くあの「ひしゃく」の配列を思わせる感がなきにしもあらず。 真っ白な着衣が星の輝きを表しているようにも思われてきます。詳しく見ると、北斗七星たちはフリルの付いた派手やかな白衣を着て大きな金の胸飾りをつけ、朱色の沓を履くなど、まさに「スター」そのものの姿。7星の上方に控える朱色服の礼装男神2体は、北斗の隠星である「輔弼二星」と考えられます。スターを支える存在が、きちんと描かれているわけです。制作は中国南宋期で、本来は「水陸画」というシリーズの一部だったと見る説もあります。

 さて、美しい彩色で精緻に描かれ、かつ人物表現も活き活きとして力強いこの北斗九星像、見ているとおのずから引き込まれていくような魅力にあふれています。さぞや古くから有名だったのだろうと考えますが、実は未指定の状態から平成14年6月26日に重要文化財になったばかりで文化財界の「ニューフェイス」です。

ずいぶん昔から奈良国立博物館にお預けになられていたようで、今の御住職は指定調査の際に初めて御覧になられたとか。ところが長年の経年劣化が進んでいたので、平成18年から19年度の2か年事業として寺が文化財としての保存修理をされました。国・県・市も補助をさせていただきましたが、美しい絵がさらに美しく見やすくよみがえり、「スター」の輝きも文字通り増しています。

今後は奈良国立博物館で展示される機会も増えますし、近々でいえば今秋、大阪市立美術館等の各地を巡回する「道教の美術」で全国のみなさんに紹介される予定です。

 もうひとつ、県指定有形文化財の竹生島宝厳寺文書についても是非紹介させてください。
宝厳寺の古文書は北近江を代表するもので、平成4年3月31日に県指定されました。鎌倉時代・弘安7年(1284)の「六波羅御教書案」を最古に、376通の中世文書が伝えられています。

武家が発給した文書が豊富なのが特徴で、南北朝時代には北朝・南朝の双方から寺領の安堵や祈祷の命令が発せられ、近江守護の佐々木氏についても北の京極・南の六角双方から多くの文書を受けています。
    宝厳寺・峰覚雄住職

戦国大名浅井氏、長浜城主の羽柴秀吉らもまた、竹生島を保護する内容の文書を発しているのです。その他に有名な祭礼である「蓮華会」についてのものや、奉加・勧進に関する古文書もまとまっています。

 内容が貴重なことは以上の概要を読んでいただくだけでも明らかですが、竹生島宝厳寺文書の素晴らしさはそれだけではありません。江戸時代に出開帳のため掛け軸にした13点を除いて、ほぼ大部分が古文書の作成された時代の姿のまま、おりたたんで保管されてきました。

そのことは一見何でもないことのようですが、文化財学上は極めて大事なことなのです。これまで古文書の研究は専ら書かれている中身だけを重視してきましたが、最近は紙の原料や漉き方、加工技術、折り畳み方、さらには朱や呉粉など剥落しやすい絵の具で書かれた注記などまで見落とさず、「モノ」として古文書を注意深く研究するように変わってきました。

そのためには、水や糊をつけて裏打ちを施した「掛け軸」は、すでにかなりの情報を失っています。宝厳寺文書などは「うぶ」な状態であることに文化財的価値が高いことが、おわかりいただけるでしょう。
 
ところが、ここに思わぬ保存上の落とし穴がありました。
県指定となる前、宝厳寺文書の素晴らしさに着目した東京方面の某大学から調査団がやってきて、実物の古文書を熱心に調べて行かれました。もちろん調査自体は学問の発展に寄与すると思われ、悪いことではありません。

悪かったのは、某大学が古文書実物を「整理」するために鉄のクリップで挟み、そのまま島を後にされてしまったことです。当時竹生島に所在していた古文書には、やがて琵琶湖上の多湿な環境のもと、クリップから錆を生じて黒色からオレンジ色の「染み」が拡がってしまったのです。
    
                           修理中の竹生島文書

 後始末はすべて、所有者である宝厳寺さんがなさっています。平成13年から21年度の9か年事業として現在も進行中の、保存修理事業がそれです。クリップ被害に遭った古文書だけではなく、経年による損傷が目立つもの等も含めた修理です。

県や旧びわ町、長浜市も協力していますが、肝心のクリップの錆害は想像以上に問題が多く、根源的な解決は難しいことがわかってきました。地域の大切な文化財を取り扱うとき、扱い者は文化財保存についての確かな知識と細心の注意をもって事にあたらないと、後悔すべき結果につながることがあるのです。

 ともあれ宝厳寺文書は今年度、長く続いた修理を完成する予定です。事業終了後、県教委主催の修理説明会を検討しておりますし、寄託先の長浜市長浜城歴史博物館でも積極的に公開されていくものと思います。その際にはもう少し具体的に、竹生島宝厳寺文書の魅力を紹介できるものと考えています。

                           滋賀県教育委員会事務局文化財保護課  井上 優



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