近江歴史回廊倶楽部

歴史解説・紹介

 沖島と長命寺
(例会講師の特別寄稿)
     


 平成20年9月12日(金曜日)、講師のご依頼をいただいて会員のみなさんと共に近江八幡市の沖島と長命寺を訪ねた。

長命寺港で集合した参加者は、46名。まずは漁船をチャーターして沖島へと向かう。沖島は面積1.5キロ平米、琵琶湖最大の島である。また、本州島という島嶼の中の湖中に浮かぶさらに島に集落があって、多くの人が生活している。

こうした例は、地球上でもきわめて希有な存在として注目されるもの。しかも、この島には豊かな歴史や文化財がある。

沖島(江戸時代には沖之島村と呼ばれた)の歴史は、源氏の開島伝説から始まる。平安時代中期の武将として知られる源満仲の家臣7名が、現在の島民の先祖なのだという。ただし、島付近の湖底から縄文土器や和同開珎が見つかっていることなどから、古くから湖上交通上の要衝ではあったと考えられる。

参加者はまず、浄土真宗本願寺派の西福寺へ参拝。この寺には蓮如上人自筆の名号があることで知られる。「南無阿弥陀仏」の六字がトラのまだら模様のように見えることから、「虎斑の名号」とも呼ばれる。この名号にはさらに「幽霊済度の名号」という別名がある。

文明年間、堅田へ向かう琵琶湖上で強風に遭い、沖島に難を避けた蓮如上人が、幽霊となった漁師の妻をすくうためにムシロの上で書いた名号こそ「虎斑の名号」なのだという。それを機縁に島民は本願寺の信仰に帰し、名号は道場の本尊となった。現在は名号堂に安置される島随一の文化財を、茶谷教侑住職の「絵解き」に導かれてじっくりと拝観した。

その後、観光ボランティアの西居正吉さんにご案内いただいて、奥津島神社、沖島小学校、漁業会館などを巡った。自動車が一台もなく、漁業によって島民が互いに密接につながっている地域の姿は、少し前まで日本中で見られたものだが、今やどことなく懐かしさを覚える風景である。

西居さんは炎天下の小学校のグラウンドで、島の神様、暮らし、和同開珎の出土(藤原仲麻呂埋蔵金伝説!)などについて自筆の垂れ幕を駆使して名調子で語ってくださった。その後を受け、井上も漁業会館で「長命寺と沖島の美術」と題して話したが、茶谷住職や西居さんの生き生きとしたお話しの後では、恥ずかしいばかりの内容であった。

昼食は湖魚の佃煮など、「湖の幸」に舌鼓を打ち、再び乗船する。第二善通丸はわれわれのために、わざわざ島をぐるっと一周してくれた。私はこれまで島を3度訪れたが、一周体験は初めて。かつて盛んであった石切場の跡などを間近に望みながら、伊崎寺経由で長命寺港に戻り、参加者一同大満足であった。船長さんの御配慮に感謝したい。

午後はいよいよ長命寺へ。八〇八段の石段を登っていただくべきだが、時間短縮のため会員さんたちの自家用車に分乗して中腹の伽藍へ向かう。いわずと知れた西国観音霊場第三十一番札所。開山は武内宿禰、開基は聖徳太子と伝え(ふたりは「お札の顔」だという私の話にみなさん頷いていただいたが、このネタは近々使えなくなりそう)、古い信仰の霊山である。



鐘楼(重文)、護法権現社拝殿(県指定)、三仏堂(県指定)、本堂(重文)、護摩堂(重文)、三重塔(重文)と中世建築の堂塔が一直線に建ち並ぶ景観は、三十三所霊場中でも屈指のもの。



今回は、武内隆韶住職の御厚意で、とくべつに本堂内陣の拝観をおゆるしいただいた。長命寺はもと天台宗であった。中世の密教寺院は仏堂内部を外陣と内陣に分割し、一般の参詣者は外陣で礼拝、内陣は僧(学侶)が仏につかえるための空間として区別していた。長命寺では現在も、その原則が守られている。そのため、内陣には現代的な照明機器が備わっていない。

参加者は、うす暗くて神秘的な密教空間を体感しながら、須弥壇の上に目を凝らした。しばらくして目が慣れてくると、中央に厨子が据えられ、厨子の前に「お前立ち」の木造千手観音立像(江戸時代)が、厨子の左側に等身大の木造毘沙門天立像(平安時代末期、重文)が、右側には木造不動明王立像(江戸時代)が、それぞれ暗闇の中から浮かび上がってくる。天台三尊形式の安置である。

厨子の中の本尊については、秘仏のため拝観できない。だが、あらかじめ厨子の中に木造千手観音立像(平安時代末期、重文)、木造十一面観音立像(平安時代後期、重文)、木造聖観音立像(鎌倉時代、重文)の3躯尊像がおられることは、説明済みであった。その姿を胸に念じつつ、後陣(後戸)の諸仏や執奏であった公家の柳原家ゆかりの品々を見学。

平成20年に県指定有形文化財となった長命寺文書(現在は県立安土城考古博物館に寄託)も、もとは本堂後陣の長持内に伝わったことなどをお話しした。長命寺文書の中に「楽書誤り証文」という巡礼者の落書き反省文も含まれていたことについては、全国ネットのテレビ番組などで紹介されてご存じのとおり。
    
     
                (長命寺参詣曼荼羅、長命寺蔵)

落書きや千社札の貼付は現代でも文化財保護上大きな問題であるが、長命寺の「誤り証文」を良く読むと、寺側は犯人を徹底的に糾弾するという態度では決してなく、落書がいけないことを優しく諭して、出来心の「お上りさん」たちから「今後道中で二度と同じ事はいたしません」という心からの誓いをさせるように仕向けている。私はそこに、宗教者としての大人の知恵、教育的配慮を感じる。

最後は、本堂から琵琶湖の眺望を楽しんだ。これも三十三所霊場屈指のもの。とくに夕刻、落日に照らされた金波の美しさは筆舌につくしがたく、誰もがそこに釘付けとなる。琵琶湖風景のなかでも最高のひとつであろう。

長命寺もまた、かつては陸と離れた「島」に所在した。日本という島国のまん中に、さらに島があって、まるでロシアの入れ籠人形「マトリョーシカ」ようだ。しかもその小島は、日本を象徴するほどに古く豊かな歴史と文化を伝えている。この事実は、とても重い意味を持っているように私には思える。

今、経済効率優先の思想によってわが国の姿は大きく変わりつつある。文化や文化財をめぐる状況もまことに厳しいが、われわれがわれわれである理由は、「マトリョーシカ」の小島にまで日本文化が浸透しているからであろう。

何千年もの間、日本のいたるところで連綿とそれを護る努力を続けた先人に対し顔向けできない未来など、創ってはならない。大げさなようだが、今回はそんな思いを新たにさせてくれる「小さな旅」となりました。

 
滋賀県教育委員会文化財保護課 井上 優



       

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