近江歴史回廊倶楽部

歴史解説・紹介

  国宝・彦根屏風の魅力


彦根屏風は、江戸時代の寛永年間(1624〜44)に、当時の京の遊里の様子を描いたものとされ、彦根藩主である井伊家に伝来したために「彦根」の名を冠して呼ばれています。
近世初期風俗画を代表する傑作として高く評価され、昭和30年に国宝に指定されました。

 「彦根屏風はどうして国宝なのですか。」こう尋ねられることが少なくありません。彦根屏風の魅力は実に多岐にわたり、一言で答えるのはほぼ不可能だと思っています。傑出した作品であると理解するには、見てそのまま分かる魅力だけでなく、時代背景や当時の教養などの知識をもって初めて分かる魅力の両方を理解する必要があるからです。

 見て納得できる魅力を挙げるとすれば、なによりもまず、きわめて精緻な描写です。髪の生え際の1本1本、絞りなどの細かな衣装文様の1つ1つ。恐るべき筆力です。1ミリの何分の1という細かい線や点が随所に見受けられ、肉眼での認識能力の限界に挑戦しているようにも思われます。

さらに、ものの質感までも表そうとする執拗なまでの描写には、「なまなましい」という評も与えられました。例を挙げると、人物全員の白目の左右に1ミリに満たない点がうたれていますが、これは、眼球の光をあらわすことで、立体感や濡れた感じを表現していると考えられます

 大変印象的なことに、彦根屏風の画面は、左上に立てられた屏風以外には背景は一切描かれず、金箔で覆いつくされています。そして、この金地を背景に、極めて洗練された感覚で人物が緊密に配置されています。しかもこの配置は、山折りと谷折りの屏風の形を考慮に入れたものなのです。つまり、第1扇と2扇、第3扇と4扇、第5扇と6扇の人物が、屏風全体を一直線の平面で見るよりも折った形で見る方が、人物がより親密に関係づけられるように考えられているのです。

 彦根屏風は、先般、足かけ2年の保存修理が終了しました。この修理は、経年劣化の本紙の傷みの修復とともに、100年以上の長きにわたって屏風の形を解かれて1面ずつの額装になっていたのを、本来の屏風装に復するという方針のもとに進められました。つまり、作者の意図する、本来のより緊密な構図を鑑賞することができるようになったのです。

 彦根屏風はまた、当時の風俗資料の宝庫でもあります。当時の遊里は、極めて高い教養を必要とする一種の文化サロンで、流行の発信源でもありました。この時代、女性が初めて髷を結ったことは注目に値します。彦根屏風では、唐輪髷(からわまげ)をはじめとする多様な結髪を見いだすことができます。

絞りや摺箔(すりはく)をふんだんに使った華やかな小袖(こそで)、南蛮貿易によって日本にもたらされて急速に広まった煙草(たばこ)、同じく南蛮よりもたらされた洋犬のペットも登場します。煙草を吸う煙管(きせる)は、当時のものはかなり長く、時代が下がるにつれて短くなっていきました。また、当時の遊里の教養・遊びとして欠かせない三味線や双六なども盛り込まれています。

 では、寛永当時の教養や時代背景等を理解して初めて解せる魅力とはなんでしょう。
 画面左の場面では、屏風をバックに、あるいは三味線を奏で、またあるいは双六に興じています。さらには艶文(恋文)をしたためる姿も見えますが、これらは「琴棋書画(きんきしょが)」の見立てとされています。琴棋書画とは、古来中国の知識階級が嗜むべき琴(きん)(七絃琴)・囲碁・書・画の4つの技芸を指します。日本でも中世からさかんにこの画題の画が制作されましたが、彦根屏風では、琴を三味線、囲碁を双六、書を艶文、画を画中画(がちゅうが)の屏風絵というように、当世風俗に見立てているのです。

 第4扇の脇息にもたれる中年女性は、その姿態から、仏教の在家信者である維摩居士(ゆいまこじ)のイメージを重ね合わせていると言われています【写真6】。教理に通じていた維摩の知的なイメージを投影させることで、遊里での叡智を担う役割、つまり場をとりしきる女性をあらわすというのです。

 そして、向かって右から2人目の芭蕉文様の小袖の女性は、謡曲「芭蕉」に登場する芭蕉の精とみる興味深い説が提示されました。

 彦根屏風が描かれた時代、つまり江戸時代初期は、画を鑑賞できる層はまだ限られていました。その限られた層の人々の教養が、漢画であり、仏教(あるいは仏教絵画)であり、能楽などだったわけです。彦根屏風には、こうした教養があって初めて理解できる重層的なイメージがいくつも組み込まれていて、大変知的で高度な楽しみ方をされたと推測されるのです。

 近年、彦根屏風に内在する世界を読み解く試みも盛んに行われていますが、まだ解明されていないことが残されている可能性は十二分にあります。汲めどもつきない魅力がある作品、それが彦根屏風ではないでしょうか。



彦根城博物館学芸員  木 文 恵

       

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