近江歴史回廊倶楽部

歴史解説・紹介

  京極氏館跡を掘る


江北の守護京極氏が一族の内訌に終止符を打った日光寺の講和後、永正2年(1505)に京極高清が新たに支配の拠点として築いたのが上平寺城です。

戦国期の山城・居館・城下町が残る貴重な遺跡として平成16年に国史跡に指定されました。米原市教育委員会はこの遺跡を保存、活用する目的で昨年度より発掘調査を実施しています。ここではその成果について紹介させていただきます。

昨年度の調査は『上平寺城絵図』に「御屋形」と記された個所で、京極氏の居館があった場所と考えられます。現在も68×37mの平坦面が認められ、北端部には庭園遺構も残されています。

この庭園は絵図に「御自愛泉石」と記されており、守護館に伴う庭園であったことがうかがえます。庭園というと寺社庭園というイメージがありますが、実は武家にとっても庭園は重要な施設でした。

上杉家本「洛中洛外図屏風」を見ると足利将軍の御所をはじめ細川管領邸には壮大な庭園が描かれています。こうした庭園に臨む会所(常御殿)が武家儀礼の場であったのでした。将軍邸の構造は各地の守護館や有力国人の居館にも波及します。   

 近年の発掘調査によって越前の一乗谷朝倉氏館跡、周防の大内氏館跡、豊後の大友氏館跡などの守護館や、飛騨の江馬氏館跡、信濃の高梨氏館跡などの有力国人の居館などでも庭園が検出されています。
しかし、上平寺館跡の庭園は戦国時代の形態をそのまま残しているのは奇跡的といえます。

さて、発掘調査はこの庭園に臨む会所について規模、構造を把握するためにトレンチを設定しました。その結果、現状では二段に分かれていた守護館跡が実は一段の広大な面積であったことが判明しました。
残念ながらトレンチからは建物の柱跡や礎石などを検出することはできませんでしたが、館跡の東端で幅一・二メートルの石敷遺構が検出されました。
これは守護館の東端を画する土塁もしくは築地塀の基底部と考えられます。

出土遺物に目を向けると、まず青銅製の竿秤の錘の出土が注目されます。錘はやや縦長の球形で、縦方向に10本の稜線が刻まれていました。 

本体上部には釣り下げるために孔が開けられた突出部がつきます。
同型の錘は全国でも一二遺跡より二三点しか出土していない大変珍しい遺物です。
この錘が出土した遺跡に注目してみると、時期は中世末(14世紀末)〜近世初頭(17世紀初頭)に限定され、遺跡の性格については、ほとんどが各地の拠点的城跡であることは注目されます。
錘は単に物の重さを測るという道具ではなく、度量衡を司る権力者に関連する遺物であるといえそうです。

 陶磁器については中国(唐物)の酒会壺、天目茶碗、大海の茶入、朝鮮の陶磁器がありました。これらは威信材として御殿の床を飾っていたものと考えられます。

大海とは大ぶりで口が広く、甑が低い平丸形の茶入のことで、当時の茶器としては最高級品でした。
今回の調査は小さなトレンチでしたが、このような唐物の茶器が出土しており、守護京極氏の権威が相当なものであったことがうかがえます。

(米原市教育委員会  中井)



       

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