近江歴史回廊倶楽部

歴史解説・紹介

  菓子・餅の祖神  小野神社


祭神
天足彦国押人命 (あまたらしhこくにおしひおのみこと)
米餅搗大使主命 (たがねつきおほおみのみこと)

由緒
小野神社は小野一族の祖であると共に餅之菓子の匠・司の始祖である第五代孝昭天皇の第一皇子天足彦押入命と同命から数えて七代目の米餅搗大使主命の二神を祀る。今から1,000年前の延喜式の神名帳に滋賀郡大三の内小野神社二座、名神大社(官幣大社の意)とある古社である。

古事記によれば天足彦国押人命は孝昭天皇と尾張国の連の娘余曽多木比売との間にお生まれになった第一皇子で春日、大宅、栗田、小野、栃木、大坂、安濃、多岐、羽栗、都怒山、伊勢、飯南、一志、近江の国造の祖であると記されている。また、日本書紀には大和和迩の祖であるとも記されている。

大和朝廷成立以前この地において、今の大阪府、京都府、奈良県、三重県、愛知県、滋賀県の広い地域を統治されていた王族であり、諸国に多い小野の地名、氏族の発祥地、祖神でもある。

古式大祭 
「しとぎ大祭」のいわれ
 米餅搗大使主命は延喜式の神名帖より古い新撰姓氏録(1,160年前)によれば応神天皇の時わが国で初めて、菓子、餅の元である「しとぎ」を作られたので、米餅搗(たがねつき栗、水の)の姓を賜ったと記されている。

 今も神社では1,200年来伝承している古式「しとぎ祭」が11月2日に行われている。同じく10月20日には国内の菓子業界代表者による しとぎ奉賛会奉仕の 「しとぎ大祭」が行われる。

この 「しとぎ祭」には新穀の餅米を前日より水に浸しておき、生のまま木臼で搗(つ)き堅め藁の「ツト」に納豆の様に包んだ「しとぎ」を中心に、竹馬の酒と称して青竹に入れた酒、青竹に入れた蜂蜜、山の菓として称して菓として菱が献供される。

 又、毎年5月10日は神社の境内の神田(通称浮ヶの谷)に於いて、「しとぎ」の餅米を作る御田植祭が斎行され、10月2日には「ぬき穂祭」が執り行われる。この御田植祭は現在日本各地で行われている御田植祭の古い形のものである。

「しとぎ」 について 〜  (「小野神社しおり」より抜粋)
 「しとぎ」と言う言葉が歴史の上に現れてくるのは今より3,000年の昔、中国の周朝廟の神饌品中に出てくる。但しこの「しとぎ」は只のウルチを飯に炊き飯を捻り固めた団子であり、餅の元祖ではない。

 餅の品種は小野の祭神がウルチより品種を改良創り出されたものである。
餅米はウルチと全然異なった品種である。
沃度反応も反対。アミノペプシン100%の純粋のもの。細胞組織も反対の網の目の様な構造である。現在でもわざとウルチを加えた餅を神の名であるタガネの名を冠してタガネ餅と称している。

 又、祭神はこれまで湿地々帯にのみ限られて栽培された為に収穫の少なかった原始農法による米作を、古代氏族のタガネ族といわれた一族のもつ石垣積みの技術を導入して、近代的な農業に創出されて広い日本の全土に新種の米を栽培され、主食の王座になる程収穫が出来る様に生産高を上げられた。
 又、栗や菱と餅及び蜂蜜を使って現在の菓子の元を作られた。

 11月2日の祭りは地元の祭りとして午前中は氏子代表の十二人衆という長老が参列して神事が行われ、午後は商店街の協力などで、つくりものではあるが紅白の大きな二段重ねの餅の御輿を青年が担ぎ、地域を練り歩く。

また、神事で供えられたしとぎと同じものが「厄除けしとぎ餅」として売られている。中身はたしかに餅米が荒くつぶしてあるものであった。地元の方はこれを藁ツトごと蒸して食べるとのことである。

 普段は静かな神社だが、神主の方に伺ったところでは菓子・餅業界の会社では10月だけでなく、毎月お参りに来られるところもあるそうである。

また、日本各地の神社の御田植え祭に、水口に刺し立てて祭る忌串の原型である、小野のサッサ(扇鉾)も小野神社のものである。

 同じ境内には、同じ小野一族の、小野篁(おのたかむら)神社、小野道風神社があり、どちらも建物は重要文化財となっている。

(中田)


       

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