近江歴史回廊倶楽部

歴史解説・紹介

  自然災害の歴史:琵琶湖西岸断層


9月6日台風14号の来襲の合間の火曜日。前日は台風14号が九州を直撃し多数の風水害を起こし、当日は日本海側に進行を変える合間の日であったが、会場の生涯学習センターに23名の多くの方々に参加いただきました。(大津南支部活動報告より掲載)

1.自然災害の歴史
地震も火山もごく当たれ前の自然現象として、太古から日本の大地を揺るがせてきた。しかしその大地に人間という生物が住みつくことにより、地震や噴火は人間社会に災害という脅威をもたらす現象となったのである。だが文字をもたなっかたころの人々は体験を後世に伝えることはできなかった。

・日本最古の地震、記述記録 
五年秋七月丙子朔巳丑 地震
ひのえね「丙子」朔(さく)「一日とうし「巳丑」なゐ「土地、地面」ふる「揺れる」)允恭(いんぎょう)天皇五年七月十四日の項:
西暦416年8月23日 河内、大和?震源 地震の規模も被害も推測できず。古文書に載せられてた当時の人々の詳細な観察記録が地震像の復元に役立つとともに、同じ地域で発生する地震の将来予測についても大きな鍵を提供している。
(注)白鳳大地震(684年・海溝型)は地質調査をしてみると日本書記の記述と符合している。過去を読み取ることの出来た一例である。日本書記「官選の史書」天武天皇720年 頃編纂

・富士山の噴火史
噴火のありさまが文字によって書き残されてきたのは、最近1300年ほどにすぎない。
最古の富士山が噴火活動している状況を詠んだ歌は(「柿本集」7世紀末か8世紀初頭では)

ふじのねの たえぬ思ひを するからに 常盤に然る 身とぞ成ぬる    人麻呂

・富士山の最古の名称の由来 
不死の薬ならべて、火をつけて燃やすべきよし、仰せ給ふ。そのよし承りて、士(つわもの)どもあまた具して、山へ登りけるよりなむ、その山を「富士の山」とは名ずけける。     
その煙 いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ、言い伝へたる(「竹取物語」 九世紀〜十世紀初頭作者不明)

2.琵琶湖西岸断層
琵琶湖の西岸に沿って琵琶湖西岸断層帯(約59q)、その西側の山地に三方・花折断層帯があり、これらの二つの断層は、ほぼ並行するように北北東−南南西方向に延びている。

・発生確率
 30年以内 0.09〜9%
 50年以内 0.2 〜20%
全国で6番目に高いマグニチュード(M)7.8

・滋賀県の被害想定  (2005)年4月14日発表)
・ケース1(昼間)
 全壊家屋45,499軒 (大津市2,083軒)
 死者857人(大津市432人)
 
 兵庫県南部地震では約6400人の死亡のうち80%が圧死であり、住宅倒壊の生き埋めの80%の人々が近隣住民により救出、行政側は建物の耐震性及び自主防災組織の強化を強く住民の方々により呼びかけられている。

3.膳所市民センター展望台?
 大津市内 眺望 見学

慶長6年(1601)徳川家康は東海道・琵琶湖の押さえとして築かせたのが膳所城である。家康は大津城主戸田一西を膳所城に移封した。その後、城主は一西の子氏鉄・本多康俊・俊次と代わる。膳所藩は廃藩置県・版籍奉還に際し、他藩にさきがけてこれらをおこなった 。膳所城の天守閣の高さと同じと言われている(調査せず)市民センター展望台四階を(一般公開なし)センター長にお願いし、会員の方々に公開、会員の皆様に膳所城主になって頂き大津市内の眺望を見ていただきまた。

4.付録:なまずと地震
[ふしみのふしん、(なまつ)大事にて候まま] 豊臣秀吉 1592年(文禄元年)京都所司代に宛てた書簡が(最古の文献)豊臣秀吉伏見城1594年(文禄3年)夏入城1596年(慶長元年)慶長伏見地震、内陸直下型 M7.5 天守閣は大破 城内だけでも死者数百名。

(大住)




       

無断転載を禁じます Copyright(C) 2005 Oumi Rekishi Kairou Club. All Rights Reserved.