近江歴史回廊倶楽部

歴史解説・紹介


蒲 生 野 の 和 歌
                        

あかねさす 紫野野(ムラサキノ)行き 標野(シメノ)行き 野守(ノモリ)は見ずや
君が袖振る 〔額田王(ヌカタノオオキミ) 作〕
 
 紫草(ムラサキ)のにほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも
〔大海人(オオアマ)皇子 作〕

 『万葉集』第一巻に載せられたこの二つの和歌は、668年に近江朝廷が蒲生野で遊猟(鹿狩り)を行った際に詠まれたもので、一般には額田王と大海人皇子〔のちの天武(テンム)天皇〕の秘めた恋を物語る歌として、大変有名です。

額田王は最初大海人皇子の妻の一人となり、十市(トオチ)皇女を産みましたが、のちに天智(テンジ)天皇の後宮に入りました。しかし、以後も額田王、大海人皇子ともに恋愛感情を持ち続けたために、このような歌を詠んだとされています。

 一方、この歌は遊猟後の宴会を盛り上げるための「戯(ザ)れ歌」であるとの、まったく異なる見解も唱えられています。和歌の中に「からかい歌」というものがあって、宴席では喜ばれる慣例がありました。さらに、当時天智天皇、大海人皇子ともに40歳を越えており、額田王の年齢についてもいろいろ推測されていますが、40歳前後だったのではないかとの説が有力です。

現代とは違って平均寿命の短かった時代のことですから、40歳を越えれば中年どころか、初老の域に入ります。また、当時は一夫多妻制の時代でした。若き日に額田王が天智天皇、大海人皇子双方から愛されたのは事実であるが、大海人皇子との関係はすでに過去のものとなっていたとの解釈です。
後者の見解に従うといわゆる万葉ロマンも色あせる気がしますが、『万葉集』ではこの二つの歌は恋愛の歌である「相聞歌(ソウモンカ)」ではなく、「雑歌(ゾウカ)」に分類されています。

(賛助会員  池田)




       

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