近江歴史回廊倶楽部

歴史散策・随想


円空僧の仏像に魅せられて

                                  

円空は江戸時代の臨済宗の僧で、幼き頃より伊吹の峰に憧れを持ち、成人と共に八合目にある平等岩で修行を始め太平寺の中の坊に身を寄せた折、よき師にめぐり逢って十一面観音の彫刻を決心したといわれます。

元禄2年[1689]3月14日に桜の木を切り高さ180.5cmのダイナミックな立像を驚くばかりの速さで仕上げ、7日には開眼供養をしたという素晴らしい記録を自筆で残しています。
全国で12万体を彫り続けた実績は、他に類を見ない例なのです。素朴で力強い円空の作風の秘密が像のどこかに隠されています。

円空は日常、鉈とのみを背に負って破れた法衣の姿で各地を訪ね、円空特有の荒削りだが不規則なリズム感を表わすヒントを山の岩肌に求めたといいます。静かに笑みを浮かべた
表情がとてもいい。左手には水瓶を持ち、やや左ひねりの身作りがうかがえます。

伊吹山の中腹にあった太平寺観音堂を、昭和39年に住み人が春照におろし、新たに堂を建立して保存会のU会長が保護を続けています。立像の背面に黒書があります。(左図)

  おしなべてはるにあふ身の草木まで まことに茂る山ざくらかな

 由緒あるもう一体の仏像が、加勢野郷に建つ光明院に安置されています。(下図右)
当院は寛政年間[1789]至り、現在の寺構を整え清閑な山裾にひっそりと建つ伽藍です。
太平寺で十一面観音を彫刻した直後に当院に身を寄せたところ、7日間の滞在を余儀なくされ、入山した時点で既に不動明王の鉈の一本彫りを請願していたと思われます。

材木はここでも桜の木を使い、本堂の正面や右寄りに安置され、背丈が約1mの細身の像です。右手に宝剣を持ち、左手には絹索を捧げる立像は、太平寺堂の十一面観音よりはるかに古くみえたのですが色素のせいかもしれません。
住職の説によれば、不動明王は通常忿怒の相を面わしているのが通例だといいます。しかし、円空彫りに限っては、ほほえみと満面の笑みを讃えているから拝観する者には親しみの情があるのです・・・と。

アウトドアーだった円空さん。弥勒寺に於いて64歳で入寂し、遊行と造仏の生涯だったと伝えられています。寺院の東門を出たところには遅いつつじの花が咲き乱れて、別れを惜しんでいるように見えたのでした。

(山田)

  

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