近江歴史回廊倶楽部

歴史散策・随想


  幻の大仏(近江の不幸)

良弁僧正が赤ん坊の時、金鷲によって東大寺二月堂前の良弁杉まで運んでこられたというのが事実であるとすれば、恐らく良弁僧正の生国は近江の国というのが真実であろうと思われます。


良弁僧正は近江の地に於いて多くの寺院の建立に携わってこられました。その中には多くの国宝や重要文化財を守り続けている寺院もありますが、歴史上近江にとってとても不幸な事件がありました。
それは紫香楽宮甲賀寺に建立されていた大仏(盧舎那仏)が近くで頻繁におこる山火事や相次ぐ地震のため聖武天皇は大仏も宮殿の造営も断念されてしまいます。近江の歴史の中で、これ程残念なことはありません


             良弁僧正像

こんにち大仏が奈良東大寺でなく近江甲賀寺であれば我が国の歴史がどのようになっていたでしょうか。山火事も地震も当時の人々にとって大変恐ろしく手の施しようもなかったことと思われます。

 その後、大仏は奈良東大寺に建立され、大仏開眼に併せて良弁僧正は東大寺初代別当に任命されます。

 近江から奈良へ持って行かれたのは、大仏と都(平城京)だけではありません。
近江の各所から平城京建設のための材木を非常に多く搬出されました。そのときの名残が湖南アルプスや金勝アルプスでいまだにハゲ山状態です。

地元の人たちは明治の頃から植林をし、また、オランダ堰堤を築くなど自然災害対策を根気よく続ける努力をされています。

更にこの付近には磨崖仏や石仏がたくさんありますが、これは住民の人びとや農作物を風水害から守る願いが込められているのではないでしょうか。

 私は次のように考えます。それは東大寺に大仏を建立するに際して紫香楽での教訓を多々生かしているのではないでしょうか。

先ず東大寺の近くには若草山という樹木のない山がありますがこれは大仏及び建物等を山火事から守るための処置であったと思われます。 紫香楽では悩まされた山火事でありましたが、奈良に於いては毎年若草山を焼いて火の祭典としています。

これは紫香楽での苦労を忘れてはならないということと芝草を絶やさないための処置だと思われます。

 若草山の芝草が繁茂しすぎて山火事の原因となっても困るのでその対策として鹿を導入された。当初東大寺に属していた鹿であるが、後々若草山で開催される火の祭典は東大寺と興福寺の境界を決めるためと云われるようになってから行事役である春日大社へ移され神の使いと云われるようになりました。

 近江にとって良いこともあったと思われます。それは信楽焼のルーツが大仏建立の時に用いられたであろう数々の技術です。

 先ず大仏本体を造る金属を溶解するための炉。溶解した金属を運ぶ器。流し込んだ金属が所定の形に出来上がるよう、熱に強い鋳型を作るのに必要な耐火粘土や耐火煉瓦用材料の調達並びに製造。さらに大仏殿等各種建築物に使用するであろう各種瓦等。様々な技術が後世に伝わって現在の信楽焼の元となった部分もあるのではないでしょうか。

 余談になりますが長崎の平和公園にあります平和祈念像の顔は、東大寺大仏がモデルだそうであります。

                                                (若山)


  

無断転載を禁じます Copyright(C) 2005 Oumi Rekishi Kairou Club. All Rights Reserved.