近江歴史回廊倶楽部

歴史散策・随想


   北国海道を歩く
     第1回 大津市札の辻〜坂本


 大津は奈良時代から「古津」と呼ばれて交通の重要な拠点でした。天智天皇による近江大津宮の遷都があり、又、城下町(大津城→膳所城)として、又、近江商人の町として栄えた所でもあります。

 宿場としては、宿場町と琵琶湖の物資が集散する港町を併せ持った大津宿は大いに賑わい、人口も14,892人(天保年間)と、近江の国では最大であったといわれておりました。

特に、東海道と北国海道の分岐点であった「札の辻」辺りは、高札が立てられた場所でもあり、大津宿中心地として最も賑わいを見せていた所でした。

 さて、JR大津駅を出発点として「八丁通」から本陣跡の前を歩き、旧東海道と現在のR161の合流点が「札の辻」であり、北国海道の起点でもあります。

これより北方向へ行くとT字路に突きあたり右折する通りが「北国町通り」であり、下北国町、中北国町、上北国町がありました。

少し行った所の左手に道が続いていますが、ここが小関峠に続く京街道の大津側の起点で、先には朱色の楼門が鮮やかな「長等神社」があります。

               長等神社楼門
当神社は三井寺園城寺の鎮守社で、横の石段を上っていくと、西国三十三所霊場第14番札所「三井寺観音堂」があります。

虫籠窓と出格子の古い家並みを進んでいくと、琵琶湖第一疏水に架かる「北国橋」を渡った交差点に文政10年(1827)に建てられた道標があり、「左三井寺観音堂」「右山王唐崎道」と刻まれている。

左の道は「大門通」といって、その先に三井寺園城寺がある。右の道が「北国海道」である。道を進むと観音寺町の町並が続く。

町名は江戸時代琵琶湖を航行する船を統括する「舟奉行」(観音寺)の屋敷が在った所から名付けられたという。

さらに進むと尾花川町に入る。道路の左側に皇子山中学校、右側に勤皇志士として活躍し、後に捕えられ斬罪となった「川瀬太宰」の屋敷跡があります。

北国海道はその先「不動川」を渡り、R161と合流する。そして先に柳ヶ崎の交差点があり、左手奥に「近江神宮」右手は琵琶湖畔となる。

旧琵琶湖競輪場に沿って行くと、歩道が狭く危険な為、一旦左折し、市道を北進する。「あかね町」を右折し、R161を横断して、唐崎神社の参道を少し進み右折すると、近江八景“唐崎の夜雨”で有名な「唐崎神社」があり、見事な松に全員ほれぼれとした気分。

              唐崎の松

松尾芭蕉も何度か立ち寄ったといわれ、句碑も建っています。但し現在の松は3代目といわれている。

神社のすぐ横に市民の憩いの場所「湖岸緑地唐崎苑」があり、ここで昼食をして、さらに北国海道を北上し、四ッ谷交差点を横断して、旧下坂本町の町並を歩く。



少し行くと右手琵琶湖畔に明智光秀の居城であった坂本城跡がある。光秀の死後、浅野家が継いでいましたが後廃城となり、天正14年(1586)拠点は大津城に移された。

この近くには浅野家が寄進して建立された酒井神社、両社神社が向かい合って建てられています。

その先左手に、幸神(さいのかみ)神社があります。鳥居の両側には江戸時代の鉱物学者木内石亭(草津市出身)が寄進した、少し変わった石灯篭がある。

その先を進むと比叡辻に出ます。ここより左手を行くと日吉大社となり、坂本門前町に行き着きます。今回はこれより、JR比叡山坂本駅に向かい解散となりました。
 

                                                (嶋口)


  

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