近江歴史回廊倶楽部

歴史散策・随想


  朝鮮人街道ウォーク
     第3回 近江八幡〜野洲


 今回で朝鮮人街道ウォークは終了します。本来の街道筋には、参加者の皆様にとって歴史を語るべき史跡が少なく、街道から大きくはずれますが、平清盛に深く愛された「妓王・妓女」ゆかりの場所を訪ねることとしましたのでご了解下さい。

 先ず、近江八幡市歴史民俗資料館前を出発し、街道を野洲に向かって歩く。旧八幡市南に本願寺八幡別院(金台寺)が左手に見える。この寺は僧「顕如」が安土城下に創建し、八幡城下の形成と共に現在地に移設された。

徳川家康も上洛途中に宿泊した。朝鮮通信使の中で、三使上々官・上官が昼食をとった。
広い敷地には県指定文化財である本堂、鐘楼、表門、裏門等がある。

街道をほんの少し行って突き当たりの石段を上ると、「願成就寺」がある。
開基は聖徳太子、元は八幡山の山麓にあったが、豊臣秀次が城を築く際、現在の日杉山に移築された。

本堂には木造十一面観音像(国の重要文化財)が祀られている。境内には岩座と考えられる岩石が露出している。2004年松尾芭蕉の没後300年にあたり、境内に3本目の句碑が建てられた。

小舟木町から一旦県道2号線に出て白鳥川を渡り、加茂町から街道を行くと、江頭町日吉神社には数万点の「江頭区有文書」があり、通信使通所に関する文書も残されている。

街道筋十王町には朝鮮通信使を迎えて、400年を記念して建てられた新しい石碑がある。十王町辺りは、昔の面影を思い出させる家並みが続く。

道はやがて日野川に突き当たり、川を渡って高木地区に入り、春日神社に到着。
神社の山門は二本の円柱だけで支え、切妻の屋根をのせた室町時代の門で、国の重要文化財に指定されている。

更に、本殿前には村名(高木)のきっかけとなったという杉の老木がそびえ立つ。

街道に戻って西南方向に歩き、JAカントリーエレベーターを過ぎた所より、西北に向かって歩く。

県道2号線を横断してまもなく、北村地区に入り野洲市北公民館に到着し、昼食。
昼食後、公民館前にある「北村季吟碑」を見学。北村季吟は江戸時代前期の歌人・俳人・古典学者で、松尾芭蕉の師としても有名で、この地の出身である。

  妓王井に とけてや民も やすごおり

次に「平家物語」で知られる「妓王・祇女」が住んでいたという屋敷跡を訪ねる。
父・橘次郎時長、母・刀身(とじ)の娘として生まれるが、保元の乱で父を亡くし、母の刀身と共に京に上り白拍子となる。


平清盛に仕え寵愛を受ける。妓王は故郷(江部荘)の水利が悪く旱魃に悩まされている事を訴え、水路(妓王井川)を造らせたと伝わる。

更に妓王の死後、妓王の御思を感じ、江部荘では寺を建立し、「妓王寺」と名づけた。

続いて「土安(てやす)神社」を訪れる。水路工事中、難工事のため蹉跌した時、夢に現れた童子が工事の手法を授けたことによって完成したので、この童子を祀ったという。

ここからすぐに、徳川家康・秀忠上洛時に宿泊・休息に使われたと伝わる、「永原御殿跡」がある。

今は藪となっているがわずかに残っている石垣跡より当時が偲ばれる。
また、当時あった書院が草津市の「芦浦観音寺」に移築されており、国の重要文化財である。
御殿跡から2〜3分の所に「菅原神社」がある。
菅原天神とも呼ばれ、藤原定家など名高い歌人が訪れたという。ここに永原御殿で使用されていたと伝わる上水道樋石が今も現存している。一見の価値あり!

これより東南方向に歩き、県道2号線を横断して、朝鮮人街道に合流し右折する。
ここは妓王地区である。町並みは静かで昔のたたずまいが感じられる。

ほどなく「生和神社」に至る。祭神は藤原忠重公。このあたり、平安中期藤原氏の荘園であったらしい。

本殿・末社とも鎌倉時代に建立され、本殿は一間社流造り、桧皮葺で国の重要文化財に指定されている。

街道を西方に行くと以前は東海道線を斜めに横切ったらしい。今は、踏み切りも無くそのまま直進し、野洲駅構内での細い(人一人歩ける程度)踏切を渡りきった所に街道があり、右折していくと中山道との分岐点である行畑地区に到着。
街道の脇に妓王井川が流れている。3回に分けての街道行程が終了。


                                                (嶋口)


  

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