近江歴史回廊倶楽部

歴史散策・随想


  円仁と張保皐


もしも円仁が張保皐(チャン・ポコ)に出会わなかったら、日本の仏教は今とは少し違っていたかもしれない。史跡公園となっている将島(下の写真)の土塁の上を歩きながら、私はふとそんなことを考えた。白とピンクのコスモスの一群が海風に揺れていた。


 朝鮮半島の西南端、全羅南道。天童よしみの歌で有名になった珍島(チンド)のあるところだが、その珍島からもう少し東に、半島の南海岸にくっつくようにして莞島(ワンド)がある。



張保皐はその島で生まれた。将島はその莞島の東側にあるケシ粒のような小さな島だ。

張保皐はその小島に清海鎮と呼ぶ城を築き、朝鮮と日本・中国の間に広がる海を支配した。軍人でもあり、商人でもあった。9世紀のことである。日本の歴史では平安時代、朝鮮では統一新羅、中国では唐の時代であった。

 張保皐は、郷里では「弓福」あるいは「弓巴」と呼ばれた。日本の史料には「張宝高」として登場する。いつ生まれたかは、よく分からない。被差別民の子だった。貧乏だった。飢饉のときは更にみじめだった。多くの人が中国へ逃れた。

 唐王朝は8世紀の玄宗皇帝のときに繁栄の極に達した。しかし皇帝が楊貴妃の美貌に魂を奪われている間に、地方では不満が鬱積していた。
遂に755年に安禄山の乱が起きる。乱は平定されたものの、以後政情が不安定になっていた。

 張保皐は中国の徐州に行き、軍人となった。徐州は江蘇省にある交通の要衝である。日中戦争のときも大攻防戦が展開され、戦争文学「麦と兵隊」の舞台ともなった。彼はここで次第に武功をあげ、頭角を現していった。

 この人の不思議な才能は、中国の主要道路沿いに点々と住む朝鮮人を結びつけて、ネットワークに仕上げたことである。更に山東半島の突端の赤山(文登)に赤山法華院を建立し、ネットワークの拠点とした。

 だが、彼は突然に帰国した。朝鮮半島の沿岸住民が海賊に襲われ、さらわれていることを知ったからである。帰国すると「将島に城を築き、沿岸住民を守りたい」と国王に願い出て、許可された。これが清海鎮である。

 円仁はいうまでもなく比叡山延暦寺の僧、第3代天台座主を務め、慈覚大師と尊称された人である。15歳のとき比叡山に登り、最澄の直々の教えを受けた。29歳のときに最澄が亡くなった。

 円仁は835(承和2)年に、遣唐使藤原常嗣に従って唐に行き勉学するよう詔を受けた。船は2回渡航に失敗したが、3回目に長江の河口に近い揚州に着いた。

円仁は、最澄が学んだ天台山で天台学を究めたいと考えていたが、唐朝はこの願いを却下した。日数の上で無理だというのである。円仁は遣唐使と共に帰国することになっていたからである。

 やむなく揚州にとどまって、開元寺で宗叡につき悉曇(しったん)などを学んだ。そして839年に遣唐使について帰国の途につく。ここでも海が荒れた。船は一旦、山東半島の乳山に寄港し、赤山に回航した。



円仁はここで下船する。中国に残って勉学を続けることに心を決したのである。差し当たっては赤山法華院に身を寄せ、ひと冬を過ごした。この間に円仁と張保皐とは直接会ったのではないだろうか。

莞島にある「張保皐記念館」(写真右)では、法華院の真っ赤な門の下で、張保皐が灰色の僧衣の円仁を迎えるさまを人形が演じている。二人が直接に会うことはなかったとする説も有力だが、ここは記念館の見解を信じよう。この時生まれた友情により、以後、円仁は朝鮮人ネットワークから様々の支援を受けることになる。




 法華院にいた朝鮮人学僧からは「ここから天台山へ行くのはあまりにも遠い。五台山へ行ってはどうか」とアドバイスを受けた。春を待って、山西省の太原の北方にある五台山へと出発する。

五台山では約2ヶ月かけて諸堂を巡拝した。それから長安へ行く。大興善寺・青龍寺・大安国寺などで密教の研鑽を積んだ。その間に6年の歳月が流れた。皇帝文宗が亡くなり、武宗が即位した。ここで異変が起こった。

 武宗は熱心な道教の信奉者で、仏教を邪教として弾圧した。経は焼かれ、寺はこぼたれた。外国人僧は還俗のうえ国外追放と決まった。円仁は赤山法華院に戻った。寺は瓦礫になっていた。あまつさえ、張保皐が清海鎮で、新羅の宮廷からの刺客によって殺されていた。

しかし朝鮮人ネットワークはまだ生きていた。円仁は赤山から交易船に乗って九州の大宰府に帰ってきた。847(承和14)年のことである。かくて最澄の念願だった天台の密教はほぼ完成に近づいた。

 張保皐の記念碑が比叡山にあるというので、10月中旬の晴れた日、坂本ケーブルで登ってみた。根本中堂の真向かいの石段を上がると、文珠堂の傍らにそれはあった。大きな亀が背中に高々と碑を立てている。莞島の人達が、韓日友好の願いをこめて建設したものだった。

                                                (橋本)


  

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