近江歴史回廊倶楽部

歴史散策・随想


  若狭小浜神仏習合の原風景


神仏習合の謎にせまる?
1.若狭彦神社・若狭姫神社の正体とは
2.神宮寺っては何だ
3.密教と修験は違うのか     

これら3つの疑問について調べたことをレポートします。
まず神社が仏を許容して神仏習合にいたる道筋を考えてみます。

写真は若狭彦神社です。
まずは神奈備です。縄文から弥生にかけて、山や川、木などの自然を神とあがめる原始宗教としての神があります。
我国では、磐座や大木に注蓮縄(しめなわ)を張って神とあがめる風景がこれにあたります。

時代は下って弥生時代から古墳時代にかけて日本の夜明けが始まります。

中国の戦乱を追われた江南の人々が南方より、更に楽浪郡など強力な漢王朝の進出に押し出された人々が朝鮮半島から海を渡って列島に漂着します。
土地を開墾し部族国家をつくります。

近江各地にあるアメノヒボコを祀る神、三上山に降臨したという天の御影の神、各地の神社にある天の○○の神などが本名不明ながらそれら祖先神ではないでしょうか?

ただ悩ましいのは、その後の大和朝廷による征服の影で、これら祖先神の名前が脇におかれた結果、主祭神がオオナムチとかヤマトタケルとかいった出雲や天孫の名に代わってしまっていることです。

若狭彦・若狭姫神社の祭神は、海幸・山幸の説話で有名な天孫のホホデミ・豊玉姫となっていますが、おそらく最初は朝鮮半島から渡ってきた祖先神だったのだろうと思います。

さて、地方豪族の力がまだまだ強かった古墳時代から飛鳥時代にかけて、開拓部族が地方の豪族となり、豪族の首長はそれぞれが祝部(ほうりべ)として祖霊神を祀り氏神とします。

首長が氏神の神官でもあった時代から仏教が入り律令制が力を得、時に栄枯盛衰があったりすると、氏の長者と部民の一族意識も薄くなるのは自然の流れです。

祝部が祭祀を行い、五穀豊穣を祈るお払いの効果にも疑問を持つようになります。社会の変化に、よる辺を失いつつあった奈良時代〜平安時代、新たな土地の支配者となった首長は、国家鎮護と現世利益に深遠な哲学を持った仏教に頼ることになります。

そこで神社内に寺を作り、社僧を置いて仏の供養する一方、祭祀の世話もすることにもなります。これが多くの神宮寺の原風景です。おそらく神社と寺が一緒だったと思われる例として近江八幡市岩倉の妙感寺があります。

平安時代に入り、伝教大師の天台宗、弘法大師の真言宗といった密教が興りました。
今度は逆に大寺院を守護する鎮守の神様として、お寺が地元の神社を祭り始めました。

最澄は延暦寺を守る神として地主神の日吉神社を祀りました。延暦寺の荘園が広がるにつれ天台のお寺が建立され、そこにも日吉神社が勧請されました。

各地に存在する日吉神社、山王神社、日枝神社と名づけられた神社がこれにあたります。お寺が主導した神仏習合の場合、例えば日吉大社西本宮の祭神オオナムチの神は、実は釈迦如来が仮の姿で現れたものであり、東本宮の祭神オオヤマクイは実は薬師如来の変身したものだ。という説明がされるようになります。

本地垂迹神、山王権現の出現です。密教の拡大と同時に神仏習合の権現名は全国に広がります。愛宕権現、蔵王権現、白山権現などです。神様に菩薩号を与えて「八幡大菩薩」などというのも出てきます。明治元年の神仏判然令で権現・明神・大菩薩の称号は原則廃止されました。
これで神と仏が習合するメカニズの内、疑問1及び2について説明しました。

次に疑問3「密教と修験は違うのか」についてです。
仏教は紀元前5世紀にインドのお釈迦様によって開かれました。出家して6年の苦行をあきらめ、菩提樹の下で瞑想に入りわずか1週間で悟りを開き仏陀となられました。

このときの悟りが仏教の根本真理となります。それは空(くう)です。この世は諸行無常であり煩悩と執着心が苦を生むのである。これらをふっきり、心を清らかにして涅槃寂静に至ることこそ空である。悟りとは修行して空にいたる。これが教えの真髄です。

空、悟り、彼岸、涅槃、成仏、菩提、浄土などが似たような意味をもつ言葉です。仏陀の死後、弟子たちは何度も集まり、星空の下、霊鷲山の丘で行った仏陀の説法を回顧し、菩提に達しようと修行に励みます。

弟子たちが仏陀に聞いた説話をそのまま記したといわれるのが阿含経です。瞑想し修行し悟りをひらく、これだと特定の出家者だけしか浄土に行けない。ということになります。上座部仏教です。

これに対して、これでは困るというのが紀元前後に中国を経て日本に伝わった大乗仏教です。仏陀は供養ということを説かれています。悟りを開いた人が得ることができた功徳は、供養という形で他人にも与えることが出来るという考え方です。

悟りを開いた僧は、多くの人を同じ船に乗せて、浄土に向かって出港できるという意味で大乗仏教を名乗りました。大乗仏教は多くの経典を生み出しました。

代表的なものが般若経・華厳経・法華経です。経典を学んでその哲学を自分のものにし、修行することから顕教ともいいます。

仏教はその後ヒンズー教の神々を大幅に取り入れ、平安時代冒頭全く新しい宗教として日本に伝わってきました。ここでやっと密教の登場です。

当時の密教の要点をまとめると、おそらく次の如くと考えられます。
1.全ての人は仏性を持っている。
2.行者の仏性は煩悩に覆われ隠されている。
3.行者は修行と密教経典に定める観法によって六根清浄を得、即身成仏する。
4.如来と一体となった行者は、その法力によって人々を救うことができる。

行者の加持祈祷による現世利益は、当時多くの支配階級の支持を得ることになりました。
一方、修験です。古代から続く自然をご神体とした山岳信仰。魔物が住む山中で激しい修行をする事によって行者は奇跡を起こす験力もつことができると考えられていました。

これには、飛鳥時代、朝鮮半島から製鉄術や薬草の知識とともに入ってきた道教や陰陽道の影響もあったと思われます。

初期の山岳修験道のビッグ2は、奈良時代末期吉野で修行した役行者と白山修験を開いた泰澄です。

平安時代に突入し比叡山5代座主円珍が熊野修験を整備しはじめると修験の中に仏教色が濃厚になりました。

熊野三宮は木、川、滝とご神体は神奈備ですがこの時代、西にあって阿弥陀如来、東にあって水の仏薬師如来、南にあって十一面観音とそれぞれ本地仏が設定され熊野三所権現と呼ばれることになります。

熊野権現・天台密教・聖護院派修験が一くくりです。一方吉野蔵王権現・真言密教・醍醐寺派修験の関係も発足します。近江信楽の飯道権現も醍醐寺派修験の聖地です。密教と修験一体となったのは平安時代です。
                                                (上嶋)


  

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