近江歴史回廊倶楽部

歴史散策・随想


 
 例会の楽しみ方(多羅尾)

折角企画していただいた例会、参加者は愉しまないと申し訳ない。方法はいくらもあると思うが、予め資料を調べていくと興味が倍増する。

昔はどんな風景で、どんな人々が、何をしていたのか。それが今どういう形で残っているのか、幸い今はインターネットとい便利なものがあって同好の人はワンサといる。事前知識は選ぶの困るほど手に入る。それでも地元のボランティアガイドさんはすごい。ご当人の思い入れも深いから余計だ。

今回は多羅尾、「神君伊賀越え」考なるホームページを参考にできる。307号線・木津川草内の渡し、ここは家康と別れて出発した穴山梅雪が襲われたところ、実は家来が案内に立ってくれた地元民の刀を脅し取ったため逆襲を受けて殺された。

馬鹿な話だ、梅雪の墓が今も残っている。甲斐から遥か山城の原野の墓場にひとりぽっちで眠っている。

宇治田原の山口城、遍照院それぞれの物語付きで見て廻れる。国道に沿う道は息長から継体の樟葉宮へ至る古道だ。入口にも出口にも多賀の名があるが何故だろう。

古道沿いに時に現れ黒くくすんだ集落が見て取れる。ひとつひとつの集落に古い古い歴史が必ずある。

年寄りが多いとどうしてもホームページに載らないから我々が気軽に知ることが出来ない。ほとんどの物語は消えて無くなる。残念だ。

今回の例会、小川城、御斎峠となると初めての体験だ、何百年と続いた多羅尾一族の土地だから、せめて日野の鎌掛くらいの視界の効いた谷あいの平地だと想像していたら全然違う。大きな声を出したら全村に聞こえそうな山深い谷ではないか。

私もそうだが水口や甲南で忍者といわれてもあまりピンとこない人が多いと思うが、この村の衆なら神出鬼没、夜討ち朝駆け。猿飛佐助と言った手錬れがどこかで覗いていそうなところだ。

 多羅尾谷の手前、小川谷の大光寺に浅野長政の姫の墓があった。甲賀の山深い里にあの浅野の姫が嫁いでいたとは!いきさつを聞かないととても繋がらない。でもこれは事実だったんだ。浅野と多羅尾は親戚だったんだ。

話は逸れるが日本書紀や古事記、普通に考えて繋がらない物語が多く専門家に作り話として否定されているが案外事実を表しているのではないだろうか。浅野といえば高台院於寧の里、五奉行のひとりで石田三成らと同僚であるが、うまが合わず後に離反している。

多羅尾中興の祖、戦国の難しい時代を見事に生き抜いた光俊の次男光太の姫。非業の最期を遂げた秀次公の後宮に入っていたとは迂闊にも知らなかった。

当時数えの二十三歳、練貫に白い袴を引き締め、紫に秋野の花を摺った小袖を着て、恰も病中のこととて見る目もいたわしく僧から十念を受け合掌「いづくともしらぬ闇路を迷う身を、みちびきたまへなむ阿みだ仏」と辞世を残し悲しくも三条河原に散った。

事件によって多羅尾家が追放になっており、浅野家の嫡子幸長も連座しているそうだ。

                                                (上嶋)


  



  

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