近江歴史回廊倶楽部

歴史散策・随想


 
 甲賀の城跡を巡る
                                ≪山下克己著「滄海に一粟」より転載≫
   
              
 石山駅の改札口を出ると、すでに事業部の田中さんが目印の旗を持って立っていた。東レグラウンド前にも受付をする三人が来て、当日の資料を持つ私の到着を待ってくれた。
 この日(二〇〇六年十一月十四日)は、去る八月近江歴史回廊倶楽部大津支部の講演会で、講師の中井均先生(注1)から「甲賀の城跡を探訪しょう」との呼び掛けで実施した見学会である。

 天気は数日前から雨の予報。受付時間だけでも、もってくればよいとの気持ちだった。交渉の甲斐あって安い値段で、思ったより立派な大型バスが来た。参加者も定員ほぼ一杯の四十三名、幸先よいスタートである。

 早速同乗頂いた先生の挨拶を受ける。途中新たに発掘された、天平のロマンを秘める紫香楽宮関連の遺跡を望む。晩秋の季節、飯道山麓には紅葉もちらほら色ずく。

 この辺りで甲南町から参加した渡辺さんに案内を乞う。さすが地元の観光協会会長さん。様々な史跡を事細かに説明される。実はこの近くに親戚が所有する忍術屋敷もある。現地参加者を甲南庁舎(甲賀市)で乗せるとやがて前方にこんもり繁った竹林が見える。それが望月城址だった。

 先生はいきなり道端のごそ枯草ばら原をかき分け、急坂を上がられた。我われも後に従うと正面に土塁が立ちはだかる。左前面にもやや低い帯くる曲わ輪が迫り、進もうとすれば両方から射掛けられる仕組み。臨場感溢れる説明に納得する。搦め手に取り付いた我われは外壁を廻り、虎口から郭内に入る。崩れた土塁からは見掛けによらず立派な石垣が垣間見える。
 杉の木も交ざった曲輪内は六十b四方の小規模なもの。しかし土塁は馬の背のように狭くかつ高く聳え、外側の切り立った法面は深い堀に落ちている。比高差七bで国内有数の高さだという。従ってすりばち擂鉢状の内部に屋敷があっても外部からは見えない、如何にも司馬流に申せば豪侠の砦である。

 民家の中を進むと、工事中の第二名神の高架近い右手奥に望月支城があった。浅い谷を隔てて北隣が望月城址である。やはり方形の郭を土塁で巡らしているが立体感に乏しい。

 バスは県境近い丘陵の広域農道を走る。甲賀町に入り私の出身ということで案内を引き受ける。谷あいやや離れた民家の裏山、こんもり繁った杉林がもびら毛枚の山岡城址で、瀬田城主となった山岡隆景の本貫地である。山間を抜け鈴鹿の連峰が視界に映ると、生家の陋屋が一瞬目に入る。

 時代は七十年前に遡る。竹馬や竹トンボに興じると、藪へ竹を切りに行った。平地にありながら矢鱈に起伏が多かったのも理由があった。十数年前、送られてきた郷土史によると、そこは「きない木内城址」だと記されていた。その後、滋賀県教育委員会が発行した「近江の城」にも明記されている。

 しかし驚くには当たらない。甲賀には三百の城跡があるという。子供の頃昆虫採取した近所の林や、山滑りした親友西村君の裏山、収穫を手伝った田圃近くの山も皆城跡だった。少し大袈裟に言うと城跡を遊び場にしていたようなものだ。これだけあるのも甲賀武士団の「同名中惣」(注2)という連繋組織に由来するのだろう。

 バスは懐かしい小学校の横を通って、かつて見慣れた殿山(城跡)に近付くと和田の集落である。伊賀に通じるこの道の両側、わずか数百bの谷筋の丘陵先端部には七つの城館が密集している。一番奥の左側が目指す和田城址であった。

 お願いしていた沢井さんの先導で、綺麗に刈られた裏山を城跡に向かい、主郭南辺の土塁に着く。二段に構えた城跡中最も高く切り立った処で、背後とは堀切で切断している。

 城跡は丘陵頂部に土塁を巡らす小規模な単郭構造で、基本的には望月城址と同型。ここでも先生の熱の込もった話を聞く。西辺はやや高い。一段下がったところに腰曲輪があり、井戸の遺構らしいのが残っているという。その下は和田川(杣川支流)に向かう地形を利用した急斜面となっていた。

 北側は低く、細い道が虎口らしい。東の帯曲輪を巡りながら、櫓台と思われる土塁の急な斜面を越えて元の道へ戻る。十八代目の城主が和田これ惟まさ政で、近くの公方屋敷に将軍になる前の足利義昭をかくま匿った人である。のち信長の武将となり摂津芥川城主となった。

 JR草津線沿いの県道を戻り甲賀駅近く、私が同窓会などで行きつけの近江屋で昼食を摂る。途中源平合戦の古戦場「烈血野」(注3)について説明する。後日同道した家内の友達に、平家物語に出てくる「三日平氏」の戦跡ではないかと指摘され、改めて故郷の歴史を再考する。

 我われの執念が届いたのか、心配された天気は予想外に好くなった。中世の山城に対比して午後は、徳川時代、将軍が休泊した水口城跡に行く。今まで高校の運動場ぐらいの認識しかなかった城である。石垣と土塁を巧みに組み合わせて造られていることを、教わりながら城を一周した。

 最後は趣向を変え、三雲の山里に佇む妙感寺に立ち寄る。藤原藤房卿(注4)が出家して開山した由緒ある寺ではあるが、果たしてお城フアンの皆様はどんな印象を受けたことか。今回は先生の発案による探訪であったが、図らずも私の故郷再発見となったことに大変感謝した一日だった。
                                          (二〇〇六年一二月)

(注1) 米原市文化スポーツ振興課長。城郭研究家。著書に近江の城等多数。
(注2) 甲賀五十三家が次々に分家した血縁、或は姻戚関係にある者が形成した組織。
(注3) 一一八四(元暦元)年七月、伊賀平氏平田家継と近江源氏佐々木秀義が戦う。
(注4) 建武の三忠臣の一人。後醍醐天皇の笠置落ちに従った話は太平記で有名。        



  

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