近江歴史回廊倶楽部

歴史散策・随想


 
 近江国庁跡を訪ねて
                                 ≪山下克己著「滄海の一粟」より転載≫

「この位置からついじ築地跡をたどって家の間を見て下さい。向こうに木の茂った高台があります。あれが国庁跡です」と、大津市文化財保護課田中主査の得意げな言葉に目をやり、私ははっとした。

そこだけがぽっかり空いた住宅の間から、青い空の下、三大寺丘陵と呼ばれる高台に、数本の広葉樹が大きく風に靡いている。あの付近が南門跡だという。五月に倶楽部の見学会で近江国府を訪ねた、青江遺跡でのことである。

やや複雑に入り込んだ団地のなかの坂道を、大きく迂回して南門跡に着く。南門は東西二一〇メートル、南北三二〇メートルの国庁域南縁中央にある入り口で、今は傍らに椎の木が一本、目印のように立っているだけ。

もとは畑だった空き地を七〇メートルほど進むと土手がある。中門跡である。それを上がると刈り取られた草原が一面に広がっている。ところどころ欅が植栽され、空に広げた梢が草原に陰影を落として風情を添える。ここからが国庁の中枢、政庁域となる。

左側には鉄筋コンクリート四階建の集合住宅が一部残って、政庁の輪郭を遮っている。雇用促進事業団の所有で昭和三十八年(一九六三)三月、基礎掘削中に政庁の遺構が見付かった因縁の建物である。これがきっかけとなって、国府としては全国で初めて発掘調査が行われた。
奇しくも先年ある会で、奈良大学の水野正好先生(当時滋賀県庁で遺跡調査を担当)が、遺構から瓦や土器がぞくぞくと出てきた当時の生々しい様子を、口角泡を飛ばして話されたのを思い出す。

埋戻されたあとに芝が植えられ、その一画がコンクリートブロックで一段高く仕切られている。南北中軸上にせいでん正殿の一部とこう後でん殿、左右対称コの字形に東わき脇でん殿と西脇殿があった場所である。周りを築地で囲んだこの配置は平城京に酷似し、建物すべてが「瓦積基壇」の上に建てられ、当時(八世紀中頃)の国庁としては第一級の建物であった。

欅のひときわ茂るなかに、昭和四十四年(一九六九)、滋賀県が建立した「近江こく国が衙跡」の石碑がある。以前は今のように史跡公園として整備されてなかったので、草原のなかのこの碑が唯一国庁跡を物語っていた。

ふと、頭をよぎるものがあった。遺構が発見されて間もないころ、兄と一緒に家内の伯母を瀬田に訪ねた時である。たまたま話題が国衙におよび、二人は熱心に話し込んでいた。兄が帰ったあと伯母は家内に「さすが兄さん、よう知ってはるわ」と感心した。二人とも鬼籍に入って三十数年、整備された現在の様子を見たら「よう復元されたな」と、またひとしきり話が弾んだことだろう。

ちなみに私が遺跡に興味を持ったわけを一言でいえば、脳裏に描いた未知の歴史がベールを剥いで明らかになって、往時を偲ぶ唯一のよすが縁となるところにロマンを感じた。また先人の営みに郷愁を覚えるからであった。同時に事象の起源を知ることが、本質を知るうえで大切だと思ったからである。

中高年が多い倶楽部の人々は、勢多橋遺跡から歩き出し、疲れが出てきたころだが、主査に続いて政庁東隣(東郭)へ急ぎ足で移動している。瓦積基壇の上に木目をつけ、黄褐色土壁に仕上げた築地が、折からの西日を浴び、鮮やかに映えているのが見えたからだ。主査は澄み渡った空に、ひ飛うん雲もん紋の軒丸瓦がくっきりと浮かび上がるさまを賞賛しながら、熱心に説明を続けた。

隣に掘立柱建物の遺構を模した休憩棟が待ち受けていた。皆はなだれるように腰掛け、申し合わせたように水筒の蓋を開ける。太い材木で頑丈に造られた棟内を、あおあらし青嵐と呼ぶにふさわしい爽やかな風が吹き抜け、身体中からいっぺんに汗が引き、疲れがとれる。

東郭線に沿い、砂状リシンを吹き付けたコンクリートの上を足取り軽く歩き出す。中央部には木製外装基壇の上に、芝を張った舞台のようなものがあった。説明によれば「くりや厨」と「饗宴場」が一体となった建物跡で、全国的にも例がなく、貴重な遺構のため基壇を特に高くしてあるとのことだ。

「けん顕よう要の官、姻戚ならずということな莫し、独り権威をほしいまま擅に::」続日本紀した天平宝字の権力者で国司を兼ねた藤原仲麻呂は、この台上で月光に輝く湖を遙かに眺め、管弦さんざめくなか、美姫を相手に盃を傾け、わが世の春を謳歌したであろう。しかし「驕れるもの久しからず」内乱となり、形勢不利となって近江へ逃れた。ときすでに遅く勢多橋は焼き払われ、頼みの国庁に入ることはできず、ついに高島の勝野で無念の最後(七六四年)を遂げた。

ひっそりとした台上を眺めながら、無常の想いが湧くのを禁じ得なかった。
 古代官道を旅した人々は、我われが通ったように、勢多橋から東へ、堂の上を経て青江まで来、ここで北へ直角に曲がったであろう。その時正面丘上に姿を現した建物群(国庁)が、いらか甍を頂き燦然と輝くさまを見上げて、絢爛豪華さにさぞ感嘆したに違いない。
                                         (二〇〇四年八月)



  

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