近江歴史回廊倶楽部

歴史散策・随想


 
 広重の浮世絵展を観て


江戸時代の浮世絵を代表する絵師、歌川広重(1797〜1858)の「東海道五拾三次」と「木曽街道六拾九次](中山道)の風景画を全揃いで、展示されている守山市の佐川美術館で鑑賞した。

近江を通る東海道と中山道の宿場町に少なからず関心を持っていたが、さすが館内は大勢の人連で、その人気の高さが伺い知れた。鑑賞ルートに設置された数十箇所のポイントで音声ガイドの説明を聞きながら、私の知らなかった浮世絵に閉する鑑賞の知識を学ぶことが出来た。

 街道の浮世絵は、現代のように大衆が何時でも、何処へでも自白に旅を楽しめる時代と違う中で、旅先の変わった景色や、名所旧跡、見馴れない土地の風俗、食べ物等を知る情報源だったと思う。

しかし誰もがそれを楽しむ機会は少なく、浮世絵が広く人気を集めて買い求められたことは想像出来ます。只、この浮世絵が当時の目本国内では、芸術という概念が無く、単なる旅や地方の様子を知る印刷物で、見て楽しんだ後は用済みのいわば一過性の消耗品的な扱いとして受取られていた。

 慶応3年(1867)のパリで開催された万博に出展された浮世絵が、ヨーロッパには無い版画の美しさに魅了され、優れた芸術品として認められた。早くから銅版画芸術の歴史があったヨーロッバでは、版画は単なる絵としての評価だけではなく、原画を描く絵師(えし)と板に彫刻する彫師(はりし)と印刷する摺師(すりし)の三者の技術が複合された芸術品として扱われ、以後の保存方法にも特別な配慮がなされ現在に至って入る。

これがアメリカ等には、製作当時の艶やかな色彩を保ったままの浮世絵が現存し、この度、日本へ甲帰りしての展覧会となった経緯のようです。

 「東海道五拾三次」は、全て絵師が歌川広重で、版元も竹内孫八(保水堂)だが、「木曽街道六拾九次」の絵師は、初め二十四図が渓斉英泉で、残り四十六図は、歌川広重が引き継いだそうです。理由は謎めいて明かではないようです。また、版元も当初竹内孫八の保水堂から途中で伊勢屋利兵衛(錦樹堂)に変わって完結している。

 浮世絵は、初摺(しょずり)と後摺(あとずり)があり、初摺は絵師の指図通り摺った初版物で、後摺は絵師の指図に従わなくても版元や摺師の都合で、変えても差し支えない追加の増し摺り物である。

展示品の中に同じ場所の初摺と後摺が併せて展示されて、その微妙な差を鑑賞する解説もされていた。「初摺]「後摺」の研究は、またスタートレたばかりだそうです。

 街道の絵図は、その宿場町の景色、歴史、風俗、名物等の特長を巧に取り入れてユーモア溢れる人物と共に描かれている。
たとえば、木曽街道(中山道)の恵智川(愛知川)宿は、現在の御幸橋が無賃橋の名で通行料を取らなかった近江商人の心意気を表しているし、東海道の水口宿は、当時名産品で知られていた瓢箪作りを、友性の流れ作業的所作で描かれていて微笑ましい。

 二大街道の浮世絵展の池に、歌川広重の「江戸近郷八景」と「近江八景」も展示されている。近江八景は東海道五拾三次の大ヒットを受けて企画されたようです。

このシリー-ズは、人物描写を抑え、純粋な風景画として構成されている。これまで写真や印刷物としてしか観られなかったものが、目の当りに出来て感慨も一入でした。


                                             (川村)






  

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