近江歴史回廊倶楽部

歴史散策・随想


 
 四方を城跡の山々に囲まれて

国が定めた重要文化的景観の第一号として「近江八幡の水郷」を選定されたことは地域の人々が日々の生活や文化、自然風土、様々な営み等を通して、育んできた景観を文化的景観と位置ずけ、特に文化的価値や次世代へ継承すべきだとしている。

 私は、この近江八幡市の東北部の一隅に生を受け日の出の方向には近江の守護職であった佐々木氏の観音寺城跡(繖山)・北には織田信長が築城の安土城跡(安土山)・西方には豊臣秀次の八幡城跡(鶴翼山)・南方には柴田勝家の瓶割城跡(長光寺山)と住居を中心にして僅か四`程度の距離の処に有名な城跡があり、朝鮮人街道沿いと平行して南にはJR東海道線が東西に走っている。まことに交通に便利で多くの史跡や歴史的文化遺産に加えて自然景観に恵まれた土地に生活の拠点があることは、歴史文化の研鑚の資料には事欠かないと日頃から報恩感謝の生活をさせて頂いております。

 さて湖国近江は古くから日本の中央部に位置し、歴史、文化、経済の全ての面で中心的な役割を果たし今日に至り文化財や史跡も極めて多いことはご案内の通りです。

 私達はこの様に豊富な先人達の遺産を大切に守り歴史を学び合うと同時に尊い生きざまから学んだことを現在の社会生活に取り入れ活用すると共に後世に伝えていかなくてはなりません。種々学ぶ機会を得られたことはこの上も無い喜びであります。

 「近江源氏、まぼろしの観音寺城」の著者田中政三氏によれば、「近江源氏佐々木氏の治世は織田信長に先立つこと四百〜六百年に亘る長期の歴史であり、佐々木氏の動向が天下の動静に大きく影響したと記され、その佐々木氏時代の終末期の束の間に織田信長と言う英雄が顔を覗かせたに過ぎない」と述べられています。
城跡の規模から見ても安土城の数倍以上はある壮大なものだとされています。(田中氏は観音寺城跡の発掘調査にも取組まれた)

私は、孫や妻同伴で安土城跡へよく訪れ、その偉大さに感銘を受け、また城跡発掘調査の現地報告会にも毎回参加し、その成果を聞くに及んでいる。

観音寺城跡については近くにありながら広大な堅塁があることについてまだ不勉強であり今後は度々訪れ勉強して信長は近江進攻の後もこの観音寺城を残し至近距離の安土山に城を築いたことの由縁を種々研鑚して行きたいと思う。

 豊臣秀次が築城の八幡山城は織田信長が京都本能寺の変で亡き後安土城下の町をそっくり移し秀次が天正十八年(一五九〇)尾張清洲に移った後は京極高次が代わって城主と成ったが文禄四年(一五九五)に破却されたと聞き及ぶ。城跡へはロープウェーで上り、山上から眺める町並みは碁盤目で美しく、また近くは近江八幡の水郷が眺められると共に長光寺山・安土山・繖山、遠くは伊吹山も見える。

瓶割城跡は、六角四郎政尭が築城したが高頼に攻められ落城の後、織田信長の命により、柴田勝家が修築したと伝えられる。城跡は、大切に保存されているが近代工業化の波により下部の山肌が一部削り取られている。
 四方の城跡を今後共再三訪れかっての権力者の栄枯盛衰の歴史を回顧し余生の糧としたい。

(松村)


  

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