近江歴史回廊倶楽部

歴史散策・随想


 
「のろし駅伝」に参加して


恒例の「のろし駅伝」開催の当日近江八幡は夜半からの雨も上がり曇りながらも「のろし」をあげるには良い日和でした。

私が従事致しましたのは18番目水茎岡山城跡で、近江八幡市北西部に位置する牧町の地先です。のろし台からは眼下に琵琶湖が眼を上げれば沖島、三十一番札所長命寺、奥島山、北之庄山、八幡山、瓶割山といずれも歴史に残る旧跡が一望できる素晴らしいところにありました。

1946年干拓事業により水茎内湖が埋め立てられるまでは内湖に浮かぶ浮き城として有名でした。
史料によりますと南北朝時代に佐々木六角氏の湖上警固の支城として築かれたもので、時下り応仁の乱には時の将軍足利十一代将軍義澄が都から逃れてこの城に伊庭・九里氏を頼りました。将軍は坂本から長命寺を経て入城しますがこの時本格的に築城されたとしています。

 特筆すべきはこの城で将軍義澄の室が次の将軍十二代義晴を出産したことでした、将軍義澄は再び敗れこの城に帰城するも病を得て死にいたりました。

伊庭・九里氏はこの後佐々木六角と戦火を交え勝利することなく廃城になった悲しい物語があります。 

のろしを上げる前に、地元自治会の有志により、水茎岡山城の城主であった九里氏・盟友の伊庭氏やその一族、戦乱に倒れた人々の御霊を鎮めるために祭壇を設けお供物をして神事が斎行されました。

 のろしあげの時刻も迫り、瓶割山城ののろしを確認、続いて北之庄城ののろしも確認され当水茎岡山城ものろしを上げました。

 当日は地元自治会の人達、近江歴史回廊倶楽部員、地元歴史愛好家、京都から当催しの為十数名が参加されました。参加者のみなさんが当水茎岡山城跡に立ち、城にまつわる悲劇を聞き壮大な中世歴史がこの足元であったことに感銘を受けました。私もこの催しに参加してロマンを体感でき有意義な1日でした。
                                                    (小根田)





  

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