近江歴史回廊倶楽部

歴史散策・随想


 
 南郷洗堰100年

琵琶湖と淀川流域の洪水対策として、南郷洗堰が3年の歳月をかけ完成したのが、明治38年(1905)。今年で丁度百年に当たる。当時の旧堰は「れんが」造りで、173mの手動式開閉操作だったが、56年後の昭和36年(1961)には、全自動式の新堰が完成し現在に至っている。
 この洗堰の設置によって、それ迄の琵琶湖周辺の大雨による洪水や夏場の水不足、更に下流に当たる淀川水系の河川の洪水被害は、大幅に改善され大きな効果をもたらしたのは周知の通りです。 
 しかしこの洗堰の設置と琵琶湖の水位調節の為、湖の水位は設置前より約三尺(1m弱)ばかり低下したようです。

私の郷里は、戦時中の食糧対策によって干拓された小中潮に面した農村でした。繖山の山麓に位置する農地は、地下水に恵まれず水田の潅漑用水は、内湖の水の汲み上げによる方法も併用されていた。1mに近い水位の低下は水田農家にとっては、致命的な大打撃だった。

この対策として計画されたのが、水田の田面切下げにより水田のレベルを下げて、湖水の水位に近付け併せて削り取った土砂で、湖辺の一部を埋立てて、新しく田地を造成する耕地整理事業だった。

 現代であれば農地の改良は、圃場整備事業に代表されるように、大幅な国の補助金を活用した県営事業として推進されてきた。所謂「官」主導の農業の近代化である。

当時私の郷里が取り組んだ事業は、自分達で耕地整理組合を結成し、自分達が出資し、大幅な資金調達迄行い、県の指導やアドバイスを受けながらも計画から完成迄の17年間は、総べて自己責任に於いて推進された。

 その一部始終が、実に克明に記され膨大な資料として、区有文書に保管されている。
 その一例として、総工費の三分の一に当たる資金を「お寺」から借り入れている。金融機関として銀行はあっても耕地整理組合としては、融資に必要な担保になる資産は皆無であり、自らが生きる為の苦渋の選択の資金調達だったと思われる。(当時一部のお寺には、かなりの集金能力があったと推定)

完成迄には、紆余曲折があっても最終的には、立派に減価償却も出来てこの難事業は、昭和10年に実を結ぶこととなった。その後の経過として、昭和20年に小中潮の干拓事業によって、湖水の汲み上げによる水は承水路によって繋がっているとは言うものの湖は、遥か彼方に遠ざかった環境の変化に地元民は、かなり複雑な気持ちだった。

 更に近年の圃場整備と漑排水事業の完成によって水の心配は無くなった近代農業に発展し、昔の水との闘いだった農地は、その形跡も認められない。しかし農地と共にその時々の変化に懸命に対処し、村を作り土地を守ってきた私達の先人の歴史は、忘れてよいものでは無いと思う。

遺跡の発掘によって解明される古代史、有名な戦国武将の歴史等は、夫々の専門学者によって伝わる術はあっても、一地方の小さなその村の歴史は、その地元の人間しか記録は残せない。しかも其れ等の古文書は、誰も簡単に見たり読んだりすることは容易でない。古文書類は大切に保管するだけでは、宝の持ち腐れに等しい。

 それを活字化することによって、大衆に親しまれる術が必要と思う。もう一点今の世に生きる者に大きく欠けていると思われる、他に頼る事なく自らが積極的に行動された先祖の実績を知って欲しい。

この二点を主な目的に郷土史を綴ろうと一念発起し、昨年拙著『すはせの里』―北須田の郷土史―を、自費出版し全村人に読んで下さいと配布した。
 南郷洗堰の完成から100年に当たる今年、私の郷土感の一端です。

(川村)




  

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