近江歴史回廊倶楽部

歴史研究・報告


織豊時代の金箔瓦は
      世界で日本だけ



 近江八幡市が合併によって織田信長と豊臣秀吉の城下町が両方あるという事で「織豊文化」のある市が生まれたと思います。

 特に安土城は織豊系城郭の始まりの城として有名で特に単なる戦いの城というだけではなく高い石垣に金箔瓦を配置した瓦葺き屋根を採用するなど自己の勢力を誇示するという意味合いも持たせ、更に「信長公記」にも書かれている天皇を迎えるための特別な御殿も存在したという天下統一を目指す信長の政治的な戦略も随所に感じられる設計がされている点を見ましても、信長の先見性の集大成の一つではないかと感じざるを得ません。

 ただもう一つの八幡山城に関しては文献がほとんどありませんのでお城の評価は難しい状況が続いています。

しかし県立大の中井均教授から現在残っている城の石垣が、数少ない現存する豊臣時代の石垣である事をお聞きしております。

先生からは探しても中々見つからないモノ(文献)を探すより今あるモノをもっと詳しく調査する事が大事なのではないかという納得するお話をお聞きしておりますが、確かに八幡山城の山下にあります秀次舘の発掘から信長の意図を継承したと思われる多くの金箔瓦が出土しています。

しかもその金箔瓦には信長の意図を秀吉がより現実的に作らしめたという形跡が発見されています。

 それは自己の勢力を誇示する目的も込めて当初は作られたと思われる金箔瓦ですが、その作り方に信長と秀吉では陰陽と思われるくらいの違いがあったわけなのです。

その違いとは信長の金箔瓦は基本的に瓦の凹んだ方に金箔が貼られて(押されて)いるのに対し秀吉の金箔瓦は瓦の凸部に貼られて(押されて)作られているからなのです。

私の家は元八幡瓦の製造をやっておりましたので、その立場からしますと風雨にさらされる場所での金箔は信長の様に凹部に貼る(押す)方をとると思いますが、信長の考えを誰よりも理解してきている秀吉が真逆の貼り方をした金箔瓦を大胆にも造ったのはどうしてなのだろうと考えてしまいます。

そこで当時に遡って両方の金箔瓦を比較できないかと思うわけですが復元された金箔瓦というものが信長のモノは安土の信長の館で再現されていますが、八幡の秀次舘から出土の秀吉型の金箔瓦は金箔がほとんど残っておらず朱漆(うるし)が瓦表面に残っているというもので、再現されたものがなく、ために両者の比較ができなかったわけです。

そこで現代のいぶし瓦を使い当時と同じ様に漆を使って瓦の凹面と凸面に金箔を貼り(押し)信長型と秀吉型の金箔瓦を再現してみたわけなのです。

そうすることで明確に分かりました事は信長の凹のモノと比べますと秀吉の凸面に貼ったモノの方が3倍くらい圧倒的に金の輝きや迫力が感じられるという事実だったのです。やはりモノの演出効果という点を秀吉は取ったのではという事を実感させて頂く事になったわけです。(近江八幡市のかわらミュージアムにて展示中)


                        金箔瓦展示

それから当時の金箔瓦再現で分かった事に朱漆(うるし)の存在があります。それは京都の「漆工芸教室さとう」で漆の勉強をさせて頂いた時に下地の漆が金箔に影響する事を知った事なのですが、重厚な赤みを帯びた山吹色が薄い箔を使っても演出されるように朱色の漆が使われていたのではという事が分かってきたのです。

つまり豪華に見せたいという秀吉の思惑に金箔を貼る職人が技術で応えたとも言えるのではないでしょうか、効果を出すための見えざる技術の存在がそこにあるわけです。

ですから派手さでなく静寂感が求められる仏像などには黒漆が使われ金箔が貼られています。

特に漆の存在は当時、漆イコール・ジャパン(日本)と当時の西洋で言われました様に、漆は当時日本などアジアの国でしか取れなかったものですから、漆で金箔を貼った城の瓦と言うのは、西洋では作れなかったわけで、当時の世界では日本でしか存在できなかった、という事も分かってきました。

つまり、金の精錬技術・金箔を作る技術・漆を精製する技術・漆を使って箔を貼る(押す)技術・瓦を製造する技術そして金箔を使った瓦を城に使おうと企画する人物が存在した、というお陰で実現されたわけです。逆に言うならばその様な世界的に高度な技術がすべて日本にあったという事が分かるわけなのです。

この様に金箔瓦の再現によって今まで分からなかった事が解明されてきたわけですが、更に再現する事で新たに疑問点も創成されてきており、古の先人達の発想と実行力にはまだまだ学ぶところが出てくるようでございます。

                                                   (松井)


       
      

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