近江歴史回廊倶楽部

歴史研究・報告


浅井三姉妹 「初」



浅井三姉妹の中で滋賀にかかわりの深かったのは二女の初(藤子)であろう。

 永禄11年(1568)小谷城で誕生。幼名を「御鐺(おなべ)」「於那(おな)」といい、長じての直筆書状の署名には「な」と記されている。

6才のとき父、浅井長政(29才)を失い、16才で母、市(36才)を失う。天正15年(1587)、当時、秀吉の一武将で高島大溝城一万石の領主となった京極高次に嫁ぐ。

京極氏は平安時代の宇多天皇を先祖にもつ佐々木源氏の家系で、鎌倉時代から続く守護大名家であったが、高次の親の頃には、家来であった浅井氏に取って代わられ、浅井氏の城である小谷城の中に、京極丸という屋敷を構えているという状況で、高次はその屋敷で生まれた。高次の母は長政の姉であるので初たちとはいとこに当たる。

高次の出世にしたがい、近江八幡2万8千石(天正19年・1591)、大津6万石(文禄4年・1595)と移る。
関ヶ原の戦いでの大津城籠城で、大坂方、毛利元康・立花宗茂ら1万5千の兵を3千の兵で一週間、足止めした際には、初は秀吉の側室であった義姉の京極竜子(松の丸殿)と共に城に留まり、侍女と一緒に兵のために水を汲み、飯を炊いたとも、侍女に鉄砲の弾を鋳させたとも伝わる。

城の天守閣に大砲の弾が命中し、竜子の侍女二人が即死し、竜子も気を失った。しかし、この足止めで西軍1万5千は関ヶ原の合戦に間に合わず、東軍の勝利に寄与したのである。

 この大津の戦功により若狭国8万5千石を拝領し、高次は若狭小浜藩初代藩主となった。小浜は竜子が若くして、若狭守護・武田元明に嫁ぎ、後瀬山麓の守護館に居住した所である。

文禄2年(1593)侍女・於崎が跡取りの熊麿(京極忠高)を懐妊した時、初の嫉妬がはげしかったため、家臣の磯野信隆に忠高をあずける。
信隆は浪人となって文禄4年(1595)頃まで幼子をかくまったが、京極家への再仕官は初が亡くなってからであったそうだ(朝日新聞記事より)。初の存在の大きさがうかがえる話である。

しかし、養女として育てていた徳川秀忠と江の4女初姫を、忠高の正室としている。姑・京極マリアの影響を受け、慶長6年(1601)初は大坂で、高次は京都で、キリスト教の洗礼を受ける。

高次が慶長14年(1609)5月、47歳で病のため逝去。当時の風習に従い、初(42才)は出家して「常高院」と称する。

5年後の慶長19年(1614)大坂冬の陣では、大坂方として徳川方の阿茶の局との交渉に臨み和議を成立させた。しかし、大坂夏の陣がおこり、大坂城で淀殿と秀頼と共に果てようとしていたが家臣によって救出された。

後に家康に「半ば恨み、半ば喜ぶ」と言ったと伝わる。晩年は江戸の京極屋敷で暮らしたが時々は江戸城西の丸のお江に会いに行ったそうで、常高院が登城する時は江戸城の女房たちは緊張したとのことである。

寛永7年(1630)小浜に常高寺建立を発願。寛永10年(1633)江戸屋敷で没した。享年66歳。

亡くなるひと月ほど前の日付の書かれた「かきおきのこと」という遺言が残されている。9ヶ条にわたり、内3ヶ条には常高寺について、国替えがあっても小浜に残し、続くようにして欲しいことなど。

次の3ヶ条には侍女や、侍、小姓たちの身の振り方について、具体的に名を挙げて述べている。常高院に13歳から仕えた筆頭侍女の小少将(高島市田中出身、三好氏)、たき、しん太夫、しも、ちやほ、そせん(高島市出身)、ようりんらの7人の侍女は、遺体の供をして小浜に帰った。

彼女らを後瀬山常高寺の麓に各々の庵(尼屋敷・総称して栄昌院)を建てて、扶持米で生活できるようにしてほしい。若い侍や、小姓は京極家で召抱えて欲しいなど、事細かに頼み込んでいる。

7条目には養子の姪、古奈姫のこと、
8条目は、浅井作庵(喜八郎・異母兄弟)大坂方についていたため、徳川ににらまれお尋ね者となっていたのをかくまっていた。かきおきの中で「・・・いまさら捨てられぬから」と、今後とも過分の知行をあて、目をかけて欲しいと、低姿勢で頼み込んでいる。

最後の条では、警護にあたっていたと思われる、侍たちの名をあげ、今後とも目をかけてやって欲しいと書かれている。

常高院の墓は後瀬山麓の高台にある。

      

その墓に相対して、七人の侍女の墓があり、周りを常高寺で得度した尼僧の墓が取り巻き、その配置は、常高院を中心に殿中の女房たちが節会に集まった姿のようである。

京極家は出雲、龍野、丸亀へと国替えになった後も幕末まで小浜の尼僧寺に家禄を与え、藩士3名を派遣して管理にあたらせた。これら尼僧たちに護られてきた常高院の墓は今なお完全な姿で小浜の町を見下ろしている。

参考・一部抜粋
 常高寺 滝口輝禅住職 「気遣いの人 常高院(お初の方)」
 福井県立若狭歴史民俗資料館 資料
 若狭おばま観光協会 パンフレット


                                                   (中田)


       
      

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