近江歴史回廊倶楽部

歴史研究・報告


 大友、大伴二つの「おおとも」氏

 

二年前、大阪南河内 藤井寺市から此方に転居してきて最初に驚いたのは、同じ学区内の南滋賀の里に「大伴神社」の存在と、同地区に大伴姓を名乗る方々が20軒近く居住しておられる事だった。

 壬申の乱で、大海人皇子(天武天皇)に従ったのは、多くの地方豪族の中でも大伴長徳、馬来田、吹負の三兄弟だけで、何故滅ぼされた皇子を養育していた氏族が、滅ぼした方の氏名を名乗っているのかが謎だった。

 藤井寺市に、伴林氏神社(ともばやしのうじのじんじゃ)が鎮座し、全国唯一の大伴氏の氏神と学んできた。

昭和17年、時の軍部が、戦意高揚のため"天皇の軍事氏族"大伴氏に関係する全国の神社を調べ、今までの村社を府社に格上げした神社が存在したからだ。(西の靖国神社と言われている。)

 室屋、金村、家持など歴史上に傑出した人名は数多く出てくるが、わたしは中でも古麻呂に注目したい。中国に2回渡航し、唐 玄宗皇帝の前で、正月朝賀の際の席次で国威を宣揚し、鑑真和上を我が国に連れて帰った硬骨漢も、最後は仲麻呂の乱で、杖死したのは惜しまれる。

 大伴氏は嵯峨天皇の弘仁元年(810)9月、大伴親王(淳和天皇)が立太子したため、その名を避け、伴氏と氏名を改めた。その年、薬子(くすこ)の変が起こり、伴健岑(こわみね)が隠岐へ流され、その後、貞観8年(866)応天門の変にて、伴善雄が伊豆へ配流された。
                 大伴神社


 高岡市に鎮座する大伴神社は、戦後昭和60年に大伴家持卿顕彰会が、家持没後1,200年を記念して、関係する次の5箇所の土を地元の古府焼きの壷に入れ、更に石棺に納めて本殿床下に埋め霊代(たましろ)とした神社である。



@ 奈良(生誕の地)
A越中国庁跡(勝興寺)
B越中国守館跡
C多賀城(宮 城県)
D隠岐の島(島根県)

この5箇所の中で面白いのは、5番目の隠岐ノ島の土で、家持死後20数日で、藤原種継暗殺の疑いを掛けられ、息子永主(ながぬし)とともに、その遺骨が流された地。
日本では墓を掘り返し遺骨を流刑にするのは珍しい。

これらの事件によって、室屋以来870年間も天皇家に仕えた名氏族も、日本歴史から消え去る。これは、藤原氏の他氏排斥の一環と考えられ、家持が政争に巻き込まれまいと、万葉集巻20に「族(ながら)を諭す歌」を残した気持ちは良く分かる。

転居して、近江歴史回廊大学11期生として学んだ中で、滋賀県立近代美術館の高橋先生の講義の中で、銘文の解読―願主と仏像の項目、野洲市福泉寺の木造阿弥陀如来坐像に、供養主に大伴氏母とある仏像のお話を聞いた。

810年に伴氏に改姓した大伴氏が、何故1,220年の仏像に、大伴氏として出てくるかが疑問だった。

 一方、壬申の乱で敗れた大友皇子については、学校で学んだだけで、渡来系氏族の大友氏については知識が無く、三井寺と大友氏の関係も転居後に知った。
当初、伊賀皇子と名乗っていた大友皇子が、養育されていた氏族を名乗ったとしても不思議ではない。

 壬申の乱後、大友皇子の五男、與多(よた)麿は、園城寺を建立し、父の霊を弔う。現在64世後裔の方が、大津市内法伝寺のご住職としておられるのは驚きだ。

 現在、南志賀に在住される大友皇子を養育された子孫の方々が、何故大伴氏を名乗っているのかが、私の最大の疑問であったが、地元唐崎史跡ボランティアガイドの松野様から「唐崎の神と神社」なる冊子をいただき、両者の関係が判然とした。

 冊子によれば、
 貞観8年(866) 大友夜須麿。滋賀郡大領。従七位上。大友黒主。滋賀郡大領。従八位上。   「三井寺別当官牒」
 大友黒主。 大伴列(おそう)の子なり、大友氏の養子となる。なお後年、実姓の大伴氏を用う。  「近江国滋賀郡史」 とある。

 大友黒主については、六歌仙の一人だとの認識しかなく、謡曲、歌舞伎にも出てくるが、今後の研究課題としたい。最初に出て来た「大伴神社」の祭神は大伴黒主である。

 また、鎌倉の鶴岡八幡宮の神主が、代々大伴氏を名乗っているので、大伴氏との関係をお尋ねしたが、関係が無いとのご返事をいただいた。

ところが、今年5月の産経新聞で、三井寺福家執事長の執筆「三井の山風」に「もともと三井寺は源氏と関係が深く、鶴岡八幡宮のトップである別当や、鶴岡二十五坊と称せられる社役を務める供僧職には、三井寺から多くの僧が任命されていた。」との記事を拝見し、ここにも繋がりがあるのかと思う次第だ。

 大友皇子が、明治維新直後、明治天皇にて弘文天皇と追謚されたのは、江戸時代後期の国学者である、若狭小浜藩士、伴信行の研究の結果による事は有名である。

伴氏を名乗るからには大伴氏の後裔なのは、間違い無いだろうが何か因縁を感じる。
 以上で、転居以来二つの(おおとも)氏に関係についての疑問は氷解した。

                                                   (幸田)


       
      

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