近江歴史回廊倶楽部

歴史研究・報告


 安土城跡の仏足石再考

 

1.要旨
 安土城跡、伝本丸に通じる伝二の丸手前の石段下に置かれている仏足石は、従来の資料では安土城築城時に石垣の石として運びこまれたものが何らかの要因でこの場所に置かれたものとされていた。

従って、安土城の天主の完成する天正7年以前の制作ということになる。もし従来の資料どおりであれば、わが国で二番目に古い仏足石であるといえる。

しかし、この仏足石は、瀬川 欣一の『近江の石の仏たち』によると、江戸期につくられたものと断定されている。その根拠として、現存する仏足石が江戸中期以降に制作されていることを前提としている。

これは、この安土城跡の仏足石には刻銘がなく一般的な史料を基にした判断であるといえる。従って、安土城築城時に石垣用の石として運びこまれた可能性は完全に否定できない。

そこで、仏足石に関する他の資料を調査し、それに基づいて安土城跡の仏足石の制作年代を検討した。

2.『近江の石の仏たち』 瀬川 欣一 における安土城跡の仏足石に関する記述
   
わが国での最古の仏足石は、奈良・西ノ京薬師寺金堂内に安置されている国宝指定の仏足石で、遣唐使だった黄書本実という僧侶が長安にあった仏足跡(石か)図を持ち帰り、その図を元にして天平勝宝5年(753)に線刻で刻んだもので、それ以降どうした訳があってか全然刻まれずに、江戸時代の中期を過ぎてから全国各地で造られるようになっていきます。

安土城跡に一基の仏足石があります。安土城が完成するのが天正7年(1579)。もしこの時にこの仏足石があったとすれば、わが国二番目の仏足石であり、城内にハ見寺を建てた信長がこの仏足石を刻ませたのではないか?・・・・などと想像してみるのも一つの愉しみではありますが、残念ながらこれもまた江戸期のものです。

3.安土城築城時の仏足石であるとされている根拠
(1)雑誌『歴史読本』(昭和51年8月号)安土城内の遺構・遺物編 仏足石 では、

 本丸郭へ通じる石段登り口に据えられている室町時代と推定される仏足石であるが、俗に信長の足跡といわれている。場内の石垣に使用されていたものであるが、この他、石仏や石灯籠の竿、層塔の基礎なども石垣や石段に使われている。

 と記され、築城以前に刻まれたものとしている。
(2)『織田信長と安土城』における、 安土城に使われた石造物の記述において、

 安土城には、二条城のように石造物だけで築いた石垣はみられないが、城内には石仏や一石五輪塔が散乱しているほか、格狭間石や宝塔の基礎石、仏足石などもみられ、築城にあたって石造物を挑発したことをうかがわせている。

 と記されている。
これは安土城跡の仏足石が、築城以前に存在していたことを前提に記述されたものである。

筆者は、前出の『歴史読本』(昭和51年8月号)の編纂に携わっていたことから、仏足石は築城以前のものと認識されているといえる。これは、前2.項の内容と矛盾する。


  伝二の丸手前の石段に置かれた仏足石

















一方で、伝二の丸手前の石段におかれた仏足石の説明板にも

この仏足石は大手道などに見られる石仏と同様に築城当時単なる石材として集められていたようで昭和の初期登山道整備のとき此の付近の崩れた石垣の中から発見されまし た。
仏足石はお釈迦さまの足跡を表現したもので古代インドでは仏像に先立ち崇拝の対象にされて居ました。我が国では奈良の薬師寺のものが現存する最古(奈良時代、国宝)のものとして有名ですが、この仏足石は中世の数少ない遺物として大変貴重なものです。

   
と掲げられている。(1)、(2)項の記述を基に表示されたのであろう。

4.第三者の史料に基づく考察
 以上の矛盾を解明するため、第三者の資料を基に制作年代を考察する。
史料としては、元早稲田大学名誉教授 加藤淳の『佛足石のために 日本見在佛足石要覧』と、元「日本家系図学会」会長 丹羽基二の『図説 世界の仏足石』、庚申懇話会編 『日本石仏辞典』を用いた。

(1)仏足石制作年代の考察
 各書に記された仏足石の制作年代はほぼ一致し、江戸時代中期以降とされている。すなわち、仏足石や傍らの石碑に 刻銘されたもので最も古いのは、奈良薬師寺の天平勝宝5年(753)で、その後は記録がなく、銘のはっきりしているものでは、江戸時代後期の初、天明5年(1785)三重県の信楽院、鍬形不動尊の2基である。他に文献などによると、天明年間に3基がある。

時代別に整理すると、江戸時代57基、明治時代20基、大正時代8基、昭和58基、不明37基となっている。江戸時代後半と昭和に入ってからのものが多いことがわかる。この中で伝承によると、安土城跡のものと同様に室町期につくられたとされるものもあるが史料による裏付けはない。また、不明の中には伝承などにより江戸期の建立とされるものが5〜6基含まれている。

なお、安土城跡の仏足石は加藤本では不明、丹羽本では江戸期となっている。両本とも所属はハ見寺となっている。

安土城跡の仏足石の制作年代が室町期であるという説は、完全に否定できないが、各書を見る限りほぼ江戸期以降の制作と推定できる。ただし、廃城になった後に、ハ見寺の境内や仮本堂から離れたこんな高所に、なぜ仏足石を運び上げたのか? という疑問は残る。

(2)その他の考察
@分布
日本における「仏足石」の数は各書によると、181基となっている。都道府県別の配置では、愛知県が最も多く24基、次いで、東京都19基、山形県・京都府各16基、三重県・奈良県・兵庫県各12基、滋賀県10基、新潟県9基、大阪府8基、埼玉県・長野県各5基などである。
近畿・東海に偏っており、山形では曹洞宗との結びつきが考えられる。東京は江戸時代に多くの寺院が建立されたことによるものと推定する。

A宗派
 仏足石は一部を除いて寺院に建立されている。宗派別では、浄土宗寺院が最も多く53基で、次いで曹洞宗の41基、真言宗20基、臨済宗14基、天台宗12基、浄土真宗11基、日蓮宗5基などとなっている。山形県では曹洞宗が圧倒的に多く、東京都や愛知県では浄土宗が多いという特徴がある。特に宗派による片よりは見られない。

5.結論
今回の考察の結果、安土城跡の仏足石は江戸時代以降に彫られたと推定できる。
今まで、講座を聴講したり、現地案内に参加したりして得た知識は間違いのないものと信じ込んできた。あるきっかけにより調査・検討することによって意外な事実が判明した。

多くの史料や資料を調べることと、それを基に見聞した知識と対比し文章にしてまとめることの重要性を認識した次第である。

参考文献
(1)瀬川欣一 『近江の石の仏たち』 かもがわ出版 1994
(2)雑誌『歴史読本』(昭和51年8月号) 安土ものしり百科(安土町史編纂委員会)
(3)秋田裕毅 『織田信長と安土城』 創元社 1990
(4)加藤諄 『佛足石のために 日本見在佛足石要覧』 築地書館 1980
(5)丹羽基二 『図説 世界の仏足石』 名著出版 1992
(6)庚申懇話会編 『日本石仏辞典』 雄山閣



                                                      (日吉)


       
      

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