近江歴史回廊倶楽部

行事の詳細


  壬申の乱を巡る〜美濃

     


平成26年6月19日。  バスツアー
・参加者  31名
・コース JR守山駅〜タルイピアセンター〜大領神社〜藤樹寺〜南宮大社〜朝倉山真禅院〜中山道一里塚〜国府跡〜国分寺跡〜昼飯大塚古墳〜五明稲荷〜竹中陣屋〜野上行宮〜 自害峰〜JR守山駅

 いきなり現地訪問しても、理解も興味も盛り上がらないと考え、今まで複数回の勉強会を行ってきたが、今回は、いよいよ実地検証である。

      
                        垂井町 大領神社

車中で、簡単なおさらいを済ませた。知識が戻ったところで、10時すぎに垂井町の図書館・資料館施設であるタルイピアセンターに到着。

 ここで学芸員の原田氏より、古代を想定した美濃の地勢や遺構群の専門的な説明を受けた。

古代の濃尾平野は、海が深く湾入する広大な湿地帯であること。渡来人が多かったことなど、文化的にも、息長はじめ湖東地方と連続したつながりがあることで、理解が深まった。

 次に、壬申のポイントとなる垂井地区の、古代豪族、宮勝(みやのすぐり)の痕跡をたづねて、藤樹寺の山田住職の諸説を伺った。

壬申の乱に際して、事情の分からない美濃や尾張の有力豪族が右往左往していて、大海人が彼らを味方につける手管を、地元に伝わる伝承などを根拠に解説していただいた。

 藤樹寺で食事をとった後、観光ボランティアの不破氏などのご案内で、関係のある各所を見学した。昼飯大塚古墳は、全長150mを超える前方後円墳で県下最大、4世紀末の築造という。

石棺周辺にベンガラが用いられている。古代、渚は近辺まで迫っていて、河内の古墳群と同様、海からの訪問者を威圧したことであろう。

被葬者は遠慮勝ちに「大碓命かも」、記紀に出てくるらしいが誰?。事業部として、昼飯・青墓地区を加えた理由は、金生山の赤鉄鉱が、大海人にとっても富の源泉であったらしいという主旨であった。

 ここで反転し、やや主旨から外れるが、話題の竹中半兵衛、松寿丸、不破矢足の足跡を見学。
  

                             不破の関にて

帰りは、野上行宮、自害峰と壬申の乱ゆかりと伝承されるところを現地確認して、関が原ICより帰路についた。

一日中好天に恵まれ、予定通り19時に帰着することができた。

 準備に当って、マニアックな内容を話していただける方という事で、お忙しい中にもかかわらず山田住職に敢えてお願いした次第であるが、皆さんのご理解はいかがであったでしょうか。
                                                   (上嶋)


      

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