近江歴史回廊倶楽部

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  湖西 「伊香立の里」 歴史探訪



平成25年7月16日。 午前中、大津市文化財保護課の和田光生氏から「北嶺回峰行と伊香立の歴史」について講演を聞いた。

伊香立と葛川が領地争いをしていた原因は、古く葛川明王院を貞観元年(859)年に、相応和尚(かしょう)が開いたことにあると言われた。

回峰行には個人でする千日回峰行と集団でする回峰行がある。夏に集団で参籠する、いわゆる「サマーセミナー」として開催されるのが夏安居(げあんご)である。

毎年7月16日昼に伊香立途中にある勝華寺(しょうけいじ)から出発し、葛川明王院にて4泊5日修行される。葛川での様子は拙書『近江のかくれ里』159頁以降にくわしく紹介している。

昼過ぎに勝華寺での出立の様子を見学した。京都からの修行者は八瀬・大原を経て途中の勝華寺で、坂本からの方たちと合流する。


                            勝華寺

代々お世話しておられる宮垣善兵衛宅から旅装束に身を固めた息子さんと孫さんが登って来られ、お二人が花折峠まで先導される。供華(くげ)を水船につけられるなど準備を整え、出発される。

今年の新しい修行者5人は本堂から昔の道を通って村はずれで、以前からの修行者30人と合流されるそうだ。寺の門前で待っている見学者の私たちに数珠を頭において御加持して下さる。

その後、年に一度のご開帳「阿弥陀・薬師・釈迦」の三尊像を拝顔する。比叡山から何の援助もなく、代々引き継いで草刈り、掃除、準備等奉仕をされている宮垣さんにお話を伺った。

「今年で1151回目です。すごいことを先祖からさせていただいて、誇りに思っています」と。葛川の常喜・常満家と共に代々引き継いで来てくださった方が近江にいらっしゃるということを今回耳にし、またしても「近江人の心意気」を感じた。宮垣さんの甥御さんと一緒に勤務していたことがわかりご縁だなとしみじみ感じた。

その後見学したところで、心に残ったことをあげてみる。

還来(もどろき)神社途中にある桓武天皇の妃で淳和天皇の母、藤原旅子を祭神とする還来神社では、ご神木とされる「なぎの木」がある。なぎの木の葉っぱは笹か百合の葉のようで、葉脈はなかった。不思議発見!!

八所神社信長が比叡山を焼き討ちした際、日吉神社から避難したとされる下在地にある八所神社の本殿前と、右左にある「かえる股」は見事なものであった。仙人が鯛、鶴等めでたい生き物に乗っている姿が立体的に浮き彫りされていた。

新知恩院下在地の大谷山華頂寺新知恩院は応仁の乱の時、総本山華頂山大谷寺知恩院が疎開してきたのが始まりとか、華頂と大谷が逆とか。読み方は「ちおにん」と読むのが正しいとか。
また焼香の仕方は@遺影でなくて位牌に手を合わせるA1度だけ香をつまんで、自分の腹の前に持ってくるB香炉に入れ、「南無阿弥陀仏」と唱えるB最後に位牌に手を合わすとか。これも「そうなんですか」知らんかった。

融(とおる)神社南庄にある融(とおる)神社は源氏物語主人公光源氏のモデルとなった源融縁の神社で、彼の歌は小倉百人一首に「みちのくの しのぶもじずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに」として残っている。

歓喜院・旭瀧・奥の院最後に融神社から坂道を登り、けものよけの扉を開けて、急な坂の先に、貞観5(863)年に相応和尚により開かれた歓喜院がある。本堂の右を旭瀧に向かう。

涼しい瀧を経て少し登ると、33年に一度のご開帳がある奥の院の不動明王に参拝できる。こんな山奥まで個人的には来ることはむずかしいので、皆さん驚いておられた。
歴史回廊倶楽部のありがたさを感じ、準備してくださった方々に感謝しつつ帰途についた。                           
                                           

                                                    (猪飼)


      

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