近江歴史回廊倶楽部

行事の詳細


  中大兄皇子(天智天皇)ゆかりの地を訪ねて



我々、滋賀に住まう者にとって、中大兄皇子の大津宮遷都は、近江の歴史遺産の内最も重要な事柄として位置づけられている。
大津宮遷都1350年を数年後に控えた今、より深く本質的に検証するため、中大兄皇子の大津遷都迄の軌跡を探ろうと今回の例会が企画された。

中大兄皇子の足跡を知る為には、背景としての歴史の流れが重要であり、それには聖徳太子、推古天皇を知ることが不可欠として、まず「近つ飛鳥、太子町」を訪れ、其の後、奈良飛鳥の地を訪れる事とした。

 太子町は古代大和政権が確立する上で最も重要な地域であり、海外の文化が九州、瀬戸内海を経て難波に入り大和川を遡り飛鳥に入る道筋―竹内街道―二上山の麓にある。

当日は、台風の余波がある様な天候で雨を心配したが、何とか1日持ちそうであった。太子町には第二京阪から入るルートで出発。松原IC付近で大渋滞に巻き込まれ「近つ飛鳥博物館」には約1時間遅れの到着。

この博物館のテーマは ・聖徳太子の叡福寺北古墳(三骨一廟)−石室模型 石棺と夾紵棺・仁徳陵古墳の模型・重文 修羅―8.8m 3.2t 等 興味つき無い展示の数々であったが、時間が無く駆け足の見学。

叡福寺和みの広場へ 日射しがきつく暑かったが木陰で昼食。
叡福寺は上の太子と一般に崇められているように、聖徳太子の御廟を護るに相応しい伽藍配置である。その一番奥まった場所に三骨一廟の御廟がある。

太子は我国仏教の祖として崇められ、空海、親鸞を初めとした数多くの開祖も参籠している。
推古天皇陵は時間なく取止めの予定であったが、太子町のガイドさんから「是非車内からでも参拝されたら」と、お奨めもあり、すぐ傍の車中で参拝。

太子街人の会皆様の「おもてなしの心」が感じられ、時間があればもっと流暢なガイドが聞けたのではと名残惜しかった。訪問出来なかったが,この太子町には小野妹子の墓がある。

湖西の小野妹子の古墳との真偽を論ずるつもりはないが、多分太子のお側にと、妹子の墓を移したのではないか。ここにも近江と近つ飛鳥太子町を結ぶ糸が有るように思えるのは私だけか。

南阪奈道路を、遠つ飛鳥へ。山田寺跡へは大幅遅れで到着。
ここは蘇我山田石川麻呂の建立した寺院跡で国特別史跡に指定されている。
因みに特別史跡は61件 内奈良10件滋賀2件―安土城・彦根城跡。

蘇我山田石川麻呂は中大兄皇子とは大化改新、遠智娘、太田皇女、持統天皇等の深い繋がりを持っていたが、讒言にあい自刃。寺跡出土の重文連子窓は保存処理され飛鳥資料館に保存されている。

次の訪問地 伝飛鳥板蓋宮跡に立つ。 北に飛鳥寺、西に甘樫丘、南に石舞台、嶋遺跡とまさに蘇我一族に周囲を囲まれたような場所である。 

    
                       伝飛鳥板蓋宮跡にて

今我々がみている遺跡は、過ってこの地には浄御原宮、岡本宮、板蓋宮と営まれた。この一角に大極殿が有り、そこで乙巳の変が起こり蘇我氏滅亡に至ったと思うと、感慨深いものがある。

次に昨年発掘された斉明天皇の陵墓と目される牽牛塚古墳と、その後発掘された大田皇女の陵墓と伝わる越塚御門古墳に向かう。

この場所は本来少し歩いて見学しなければならない場所であったが、ガイドさんの計らいですぐ裏手の農業組合の集荷場にバスを臨時駐車でき、あまり坂道を歩くことなく見学できた。

陵墓は既に埋め戻しされ発掘当時の八角形の石造物は確認できないが、上部の巨石をくり抜いた2室に分かれた石室を見ることができた。

時間に追われていたので、早々に談山神社に向かう。談山神社は中大兄皇子が中臣鎌子と乙巳の変で入鹿誅刹の策を練り、この場所で談合したと伝えられる。

後に鎌足の長男定慧が、鎌足の遺骨を摂津阿威山の墳墓より多武峯に分骨し、十三重塔と金堂を建立し供養したのが始まりと伝えられる。神仏習合の名残を残す拝殿で神官より由来の解説を受けた。
予定を全て終了し一路近江へ。終始和やかな雰囲気の中で実りの多い例会であった。


                                                     (金澤)


      

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