近江歴史回廊倶楽部

行事の詳細


 近江の街道 北國脇往還 
  伊吹の里(春照・藤川)の歴史・文化探訪



平成23年5月25日(水)。北国脇往還の春照宿・藤川宿を訪ねた。

まず、伊吹文化資料館で米原市教育委員会の高橋順之氏に伊吹の里の歴史・文化の講義を聞く。古からの伊吹山信仰や山岳寺院、雨乞いの返礼としての太鼓踊りなど、伊吹山を中心とした一つの文化圏があったことを知る事が出来た。

高橋氏の案内で春照の集落を歩く。
山麓の中心集落であった春照宿は本陣・脇本陣兼問屋2軒、九 軒の旅籠や茶店が並び、伝馬18頭をおいていた。
また、軍事的にも重要な道の要所であったため、外敵の侵入や攻撃に備え何箇所もの「鍵曲がり」がみられた。
長浜道への分岐点でもあり、京・大坂への旅人や、荷物が行き交い、竹生島から谷汲山への西国三十三所巡りの巡礼も多く見られ、賑わっていたそうである。

伊吹山の石灰岩地に降る雨・雪は浸透しやすく、甘くてまろやかな名水があちこちで湧く。

田畑への水を公平に分配するための「小田(おさだ)分水」を見に行く。溢れんばかりに水路を流れてきた水は大きな集水池に入り、何箇所もの方向に分水されていく。その勢いの凄いこと。水に飲み込まれそうな心地になる。

道の駅伊吹の里で昼食。会員で米原市長の泉峰一氏がわざわざ激励に来てくださった。

姉川を大蛇に見立てると伊夫岐神社は水を吐く大蛇の口に当たるそうである。用水「出雲井」は宝治2年(1248)に開削という。岩場の激しい流れを見ていると当時の大工事の苦労が偲ばれる。

バスを降り、長尾寺跡(惣持寺)まで狭い上り坂を少し歩く。
白雉2年(651)慈照尊者が開山。伊吹山寺群の中心寺院となり、兵火で堂宇消失るも再建され49坊を数えた。その後次第に衰退し、現在は慈照寺が唯一、法灯を継いでいる。

毘沙門堂の天部形立像は平安前期ごろの作と推定され伊吹山護国寺の遺品である。毘沙門天立像は平安中期の作と推定される。どちらも表面の色彩は失われ木肌ではあるが迫力のある像である。

藤川宿を歩く。
ここは上り(関が原方面)専用の片継ぎの宿であり、本陣・問屋を兼ねた林家が再建されている。
今は静かな農村とみえるが、普通宿場の真ん中にある本陣が東の入り口にあり、堀や見張り台を備え、国境から伸びる街道を一望する段丘上にあるのは、軍事上の重要な位置であったことを示している。
本陣の屋敷林には彦根城の改修に備えたというケヤキの大木が何本も育っていた。

春照に戻り、太平観音堂の円空仏を拝観する。
伊吹山の西に張り出した尾根の中ほどに、仁寿年間(八851〜4)に築かれた伊吹山寺を前身とする四カ寺の一つ、太平寺があった。

江戸時代にいくつか残っていた塔頭のひとつ、中の坊で遊行僧・円空が修行し、像高180pの十一面観音像(1689)を残した。その後仏像を守ってきた14戸の集落は昭和39年、春照に集団移住し、大平観音堂を建て、円空仏を今も守り伝えているのである。

伊吹の里の人々のお山に対する深い想いと穏やかなときを刻む集落の営みが精神に沁みた一日であった。

                                                     (中田)





      

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