近江歴史回廊倶楽部

行事の詳細


  関ヶ原探訪 「近江の武将はどう戦ったか」


平成23年10月12日(水) 参加者・20名

■行程
JR関ヶ原駅集合.東首塚.陣場野.笹尾山頂上より金森長近・長束正家・中村一氏・徳永寿昌の陣跡遠望.石田光成陣跡.蒲生備中陣跡.島津陣跡.小西陣跡.宇喜田陣跡.昼食.大谷首塚.大谷陣跡・木下陣跡.若宮神社(+壬申の乱).藤古川橋(+壬申の乱)脇坂・小川・朽木陣跡遠望、松尾山遠謀.福島陣跡.京極・藤堂陣跡.西首塚.JR関ヶ原駅
■例会のご案内
関ヶ原戦国ウォーク平地約8q、解説を聞きながら4時間の予定。
近江出身の武士たちの戦跡を巡る健康ウォークを計画しました。

この案内を受け取られた会員の方々はどういう反応をされたであろうか。関ヶ原というだけで歴史好きの人は、血湧き肉躍る感覚があったのではないだろうか。

              笹尾山(写真左手)と決戦地をめざして

関ヶ原の決戦はその後300年の体制選択の戦いであったとされる。戦いの結果、天下人とその後継者による中央集権色の濃い専制国家ではなく、幕府が独立した諸侯を統括する封建国家へと歩んだということで大きな意義のある戦いであった。

関ヶ原合戦に参加した主要な諸侯は46、そのうち1/3の14諸侯は近江出身である。彼らには当然、同郷ゆえの交流があり、競合があったと考えられる。

近江の武士たちにどういういきさつがあったのか、どういう思惑があって東軍・西軍に付いたのか、その結果は吉であったのか、凶であったのか、現地に立ってその雰囲気を体感しようと考えた。

慶長五年(1600)9月15日。天下の覇権を狙う徳川家康率いる東軍と、阻止するために挙兵した石田三成率いる西軍が、関ヶ原を舞台に天下分け目の決戦を繰り広げた。

両軍布陣後も前夜からの深い霧で見通しがきかない。緊張感の漂う中、無言のにらみ合い
は続く。霧が少し晴れた午前8時頃、東軍・井伊直政により決戦の火蓋は切って落とされた。
総勢84,000の西軍が、必勝の陣形「鶴翼の陣」で東軍を迎え撃つ。

一方、東軍は74,000人。大将・家康は桃配山に本陣を置き、戦況が不利になると本陣を激戦地・陣場野まで前進させ、東軍の士気を高める。正午頃、家康からの圧力もあり、西軍の小早川隊は反旗をひるがえし、同調した脇坂・朽木・小川・赤座の四隊も隣にいた大谷隊を攻撃する。

その後、小西・宇喜多隊は敗走。さらに石田隊も勇猛果敢に応戦するが挽回の余地無く敗走。

天下分け目の合戦は開始より、わずか6時間あまりでその勝敗が決まった。
この日も関ヶ原合戦の地を訪れる人は多くいて、その地に立つと戦国武将の気分になったのか、老若男女を問わず活気がみなぎっていると感じたのは勝手な思い込みであろうか。

現地の史跡ガイド伊藤庄一氏による案内と詳しい説明、事業部上嶋さんの詳細な資料と、天候に恵まれ価値ある一日を過ごすことが出来た。


                                                     (中田)


      

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