近江歴史回廊倶楽部

行事の詳細


  多賀大社と犬上川流域探訪


平成22年6月12日(土)、31名参加。梅雨入りも近いこの時節 天候が気がかりであったが、絶好の見学日和に恵まれ新緑が眩しく参加者一同心身ともリフレッシュする事が出来た。多賀犬上川流域の多賀大社には既に何度か参詣された方も多かったが、多賀大社の由来から現在に至るまでの歴史と犬上川流域の水との関わり・信仰を踏まえた新しい切り口の訪問であった。

まず多賀あけぼのパークでは、博物館を訪問し館長から「あけぼの象」の化石を前にして発掘のご苦労話など解説いただき、小学生の遠足の様な気分で楽しく拝聴した。

       
                      あけぼのパーク多賀

最初 工業団地造成工事中発見された驚きはいかばかりかと想像される。ひょっとすると貴重な象牙かもしれないと発見者5人で持ち帰られたそうである。発見されたのは古琵琶湖層の粘土質の土壌で、一体の化石が散逸せずにほぼ?要部位が発掘されるのはまれで、河川流域の湿地帯の場合氾濫等により流失してしまうことが多いと聞く。

次に多賀町教育委員会埋蔵文化財センター音田直記様より「多賀・犬上川流域の歴史」について説明を頂く。

多賀町の地形を見ると山地が80%、平野部が20%であり平野部は犬上川と芹川によって作られた扇状地である。この平野部には多くの古代人の住居跡、古墳群が発掘されている。

すぐそばを東山道が走り北陸・東海に通じる交通の要衝で早くから文化が開け、犬上氏等に代表される古代豪族が勢力を広げていた。

またこの地は胡宮の磐坐にも見られる如く山岳信仰の拠点であった。東大寺とは荘園として水沼荘の記録が正倉院文書にあり関連が深く、後の東大寺再興の大勧進重源と敏満寺・多賀大社を結び付ける事となる。

平成17年には「敏満寺石仏谷墓跡」は貴重な中世集合墓地遺跡として国史跡の指定を受けている。
湖東のこの地域は湖東三山に見られる如く金剛輪寺、百済寺の天台系寺院や石塔寺等の大規模な中世集団墓地を持つ寺院があり、敏満寺も中世では同様の都市城郭機能を持った寺院があった可能性もある。

県教育委員会文化財保護課の井上先生からは「多賀信仰と参詣曼陀羅」と題した講演を頂く。多賀大社の坊人による布教の為の使われた参詣曼荼羅は多賀信仰の生成の大きな要因となった。

         
                         多賀大社茅の輪

特に江戸期に入り一般庶民の伊勢詣で、熊野詣で、西国三十三所巡りなど流行に合わせて多賀詣でが多賀信仰として盛んになったのは、坊人たちの曼荼羅を持って全国を懸けた布教活動の影響も大きい。

参詣曼陀羅の中には伽藍配置、年中行事、由来伝承、犬上伝説の紹介まで入っていて、多くの歴史的事実を伝えている。

また午後の多賀大社参詣に際しては参詣曼荼羅の各所を辿りながら見学する事が出来、参加者一同大変楽しい時間を持つことが出来た。

この後多賀大社と並ぶ古社 胡宮神社・敏満寺遺跡を訪れこの地が青龍山を神体山とした水神・龍神を祀る山岳信仰の地であり、古くから南都との交流がある水沼=敏満と水との関わりが重要な要素を持った地であることを実感した。

また胡宮神社では神仏習合の名残をとどめる大日堂・観音堂の諸仏について拝観する事が出来た。敏満寺史跡文化保存会の皆様の案内と御好意に感謝致します。

犬上川散策路では大蛇が淵の急流を眺める。今では犬上ダムで水量は調節され、かっての流れの勢いは感じられないが、それでも梅?時期の水量の増えた時など凄いと聞く。

昔、水は神頼みで、これが人々の生死を左右する重要な問題であったに違いない。犬上伝説に象徴されるように人々は水=龍神が支配しておりそれを敬い祈ることにより平穏な生活を願ったのだろう。

この様に大瀧神社並びに犬上川流域の昔からの水に対する敬い関わりについて潅漑池の話とか、昭和7年の一の堰の熾烈な水争い―その結果犠牲者まで出て長い間両地区は敵対し婚姻関係もなかったそうである。

その後、昭和9年に犬上ダムの起工が行われ戦時中を通して建造され戦後間もない昭和22年に竣工している。あの戦時中の非常時においても敢行しなければならない程、水に対する取り組み大切さを実感した。この様に今回の見学会は 多賀犬上川流域における歴史の中の水について考える見学会が出来た。

                                                     (金澤)

      

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