近江歴史回廊倶楽部

行事の詳細


  中井先生と訪ねる近江の城郭(小谷城)


平成22年11月10日 。24名参加 、講師は中井 均先生。
JR河毛駅で集合し、小谷城戦国歴史資料館に9時30分に到着。

事業部からの最初の挨拶と諸注意では、何時もと違って「皆さん、特にご自分の体力を考え決して無理なさらないよう、坂道では手袋を着用しマイペースで焦らずに・・、手袋と熊よけの鈴を用意したので準備されてない方は申し出てください・・」参加者からスタッフの用意周到な心遣いを感謝された。

中井先生は最初の挨拶の中でも「長浜城歴史博物館館長に就任し最近とみに忙しくなったが、本日の様な山城の現場に立って皆さんと一緒に見学するのが何よりも大変うれしい」とのお言葉を頂いた。

先生の案内で資料館見学。その後、車で移動し全員が揃って番所跡から出発した。番所跡の紅葉は色づき始め美しかった。馬洗い池、桜の馬場等郭の遺跡を辿る。
其処此処に築城者の知恵が現れているとの事。下から攻める側は上の様子を窺い知る事は出来ない。どんな策謀が隠されているかも知れない。知力と知力の戦いをすで行っているのである。

中井先生曰く、山城巡りの醍醐味は攻める側と防ぐ側とが「どう考え行動したか」を想像する事が面白い。そこには色々な工夫が込められた土塁・堀切・枡形・曲郭等がある。

秀吉が水の手から京極丸へ攻め上がった郭下の枡形に案内して頂いた。京極丸から急な崖を降りた所である。枡形を乗り越えた軍勢の雄叫びが聞こえるようである。

小谷城の特殊性は、
@一般的には山城は戦時空間であ るが、小谷城は山上で日常の生 活空間があったようである。出 土遺物を見ても酒器である「か わらけ」が多い。お市三姉妹も 御殿に居住していたのか。
A清水谷の御屋?跡は政治的空間 であったのだろう。
B出土遺物の中からは、火災に 遭って焼けた痕跡は出てこない →落城の時、火災は発生してい ない。

     
                         本丸の石垣

C現在、本丸と言われている郭が あるが、実際の本丸天守は京極 丸・山王丸であった様に思える 。 なぜならば、本丸の石垣と山王丸の石垣を比較してみると、明らかに山王丸の石垣の方が立派で大きく、正面を見据えている。本丸の石垣は、ひょっとすると大正時代に小谷城郭保存会が出来た時、整備の為積まれた物であるのかもしれない。

又江戸期の古資料によると、本丸=鐘丸となっているものもある。すなわち古い時代は通信の手段として鐘が撞かれた。敵が攻めてきた時、場内の各部所に急を知らせるため鐘を撞いたことも考えられる。

又、本丸と京極丸、山王丸の間は大きな大堀切で分けられている。山王丸から六坊へ急坂で下っている。すなわち山王丸は最も小谷城内の天守といえる高い場所で防衛面でも堀切急坂に囲まれた要衝であったと言える。

     
                       山王丸の大石垣

山王丸で昼食。休憩の時、健脚コースの確認を行った。当初の予想では健脚コースは相当きつい行程との事であったが、六坊から先は距離は長いが急坂は?ないとの情報もあり、中井先生の案内で小谷城跡を巡るチャンスはめったにない。今のところ何とか余力もあり中井先生の案内でますます興味が出てきた為か、健脚組への参加者が急増。当初7人→17人、一般は反対に7人になった。

六坊迄降りるのも大変な急坂。いよいよ六坊で2組に分かれる。清水谷の一般コースも相当な急坂の下りで大変だったが、何とか歴史資料館迄辿り着いた。

健脚組の方は各々のペースで下りながら福寿丸跡なども立ち寄り、景色も楽しんだ。途中、膝が痛くなったり、こむらがえりが起こったりと、加齢のためか体調の衰えを感じたが、会員相互の助け合いで何とか乗り切り、無事、清水神社に降りた。

先に下りていた一般組が車で出迎え、駅まで送るなどして解散した。
天候も少し時雨たりたり、多少問題点があったが概ね事無きを得て、例会を終了する事が出来た。

                                                     (金澤)



      

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