近江歴史回廊倶楽部

行事の詳細

 「湖北のオコナイ」と歴史講演会・シンポ
 

 
平成17年2月26日、降りしきる寒空の中を近江長岡駅で受付を済ませた50余名の会員は、会場のルシチプラザに移動して高月町歴史民俗資料館学芸員の佐々木悦也氏から「湖北の山岳信仰とオコナイ」の表題で、昭和60年頃に撮影された東物部の記録映像を見ながら午前の講演を拝聴しました。

地元の山東地域でも多くの集落で毎年1月から2月にかけて「宮オコナイ」が年頭の五穀豊穣と地域安全を神に祈願し、住民の連帯意識を確かめる儀式として奉斎されていますが、県内でも特に仏教文化が盛んであった湖北地方に集中して伝承されたと聞いています。

当日の資料によれば、高月町では31集落の50数ヶ所に及ぶ神社や仏堂で、神主や僧侶、塔主が斎主となって「宮オコナイ」神事と「寺オコナイ」の仏事が、凡そ半々の割合で行なわれている事を知り、さすがに観音の里と冠称されるだけに、湖北でも取り分けて数の多い事に驚きました。

殊に「修正会の行ない」という仏教の年頭行事が、その語源だと言われている「オコナイ」が、私が今までに知った中では全て神道行事であった事が理解できませんでしたが、お陰で神事と仏事の両方で執り行われていて、その語源が神仏混淆にあつた事が判ってよい勉強をさせて頂きました。

 しかし、映像の説明をしながら話されていたとおり、近年は何処でも簡素化が進み、私の集落でも戦前から戦後にかけて青年会が主体となって護持して来ましたが、青年会組織の衰退と共に集落民がこれを引継ぎ、同様に地域文化の継承を第一義として徐々に簡素化しています。

 また、隣接の志賀谷区には区民の中から選出された禰宜が神主となって、1年間は区内の神事を主宰するという特異な制度があり「オコナイ」の時は10日以上の長期に亘って社務所に参籠して精進潔斎し勤行されていましたが、頭家で行なわれていた準備の場所も集会所に変わり、日程も短くして休日を本日にするなど、フレキシブルに簡素化されています。

こうした流れは高度成長に伴って加速した住宅の新築や改造で住環境、中でも台所廻りが通し土間、薪炭、竈、井戸水から板間、ガス、電気、水道水を主体とする生活様式となり、加えて各家族という社会構造の変革によって必然的に生じてきたものと思われます。

 今ひとつは自然が相手の農業が基幹産業から大きく後退して、地域住民の五穀豊穣を神仏に祈願し感謝する、祭礼神事に対する関心が代替わりと共に衰退したことにあると思います。

 ほっとした温もりを肌で感じた茅葺住宅の消滅と伝統行事の簡素化は、時流として止むを得ないことであるとはいえ、従来に比して地域住民の連帯意識が希薄になり、心情にゆとりを持ちにくい時代に変わりつつある事を否めない寂しさを感じるのは、あながち私が戦中派の所為ばかりとも言いきれぬ事かと思っています。

 最後に「馬上のオコナイ」が形式は兎もかく五年に一度執り行うことに簡素化されたと聞きました。おそらくは、負い縄という神事が部外の人には観光イベントの被写体と捉えられているのでしょう、アマチュアカメラマンが大勢で押し寄せるとのこと、こうした様変わりと本来は神聖な民俗儀式である事とのギャップに形式は違っても「オコナイ」の伝承に努めている地域住民の一人として複雑な思いでした。

(西岡)




      

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