近江歴史回廊倶楽部

行事の詳細

見学会  錦繍の桐生の郷に歴史を訪ねる
 
   

錦秋の11月11日、今回初めての試みとして、事業部と大津南支部共催による見学会を上田上桐生の里で行なった。下り坂の天候にもかかわらず42名が参加した。

集合場所の上桐生バス停には交通の便利が悪いため、半数以上の方が自家用車で来られ分散駐車して思わぬ迷惑を掛けた。小根田会長、田中事業部会長の挨拶に始まり、山下支部長の案内で草津川上流のハイキングコースを歩き始めた。「若人の広場」(キャンプ場)を過ぎてすぐ道端に「三田六池創設者惣兵衛之碑」が目に入った。

桐生は昔、干天が続くと農業用水が枯渇した。用水確保のため先覚者惣兵衛が享保年間(1716〜36)面積3町5反余の溜池を築いて、55町歩の田畑を潤すことに成功した。今に残る三田六池である。

昭和19年池の辺に、惣兵衛を顕彰する碑が建立された。それが最近道路拡張のためこの地に移設されたのであった。その先すぐ川を渡り上流林間に忽然と姿を現したのが「オランダ堰堤」である。

明治以前、背後の狛坂山は禿山で度々洪水が起こり下流に被害を及ぼした。明治22年(1889)「淀川水源砂防法」による治山治水事業の一環として、オランダ人ヨハネス・デレーケの指導により造られたのがこの堰堤、表面は花崗岩の割石積による構造で、堤頂からもその巧緻な形態を眺め感心する。

色づき始めた林の中を十分ばかり歩くと、左奥の大岩に三尊佛が逆さに刻まれているのが見えた。「逆さ観音」と言われるものだった。鎌倉時代初期に作られ、金勝寺への横参道の道標となったものだ。逆さになっているのはオランダ堰堤築造時に石材が不足して大岩の一端を切り取ったため、後にバランスを失ってずり落ち、逆さになったものだった。

午後は草津川の対岸に渡り、三田六池を見て、4代続く成子紙工場に向かった。今は一軒しか雁皮紙漉きが受け継がれていない。

桐生は、良質な清水が豊富で、山野に原料の雁皮が多く自生し、消費地の京都に近いことから、最盛期には10軒ほどの工房があった。西陣織に使われる金銀張りの地紙は全国一の生産量であつたとの説明だった。

工房内では紙漉きの実演を見ながら、手間暇かけて作られる雁皮紙の特徴も詳しく聞いた。
滑らかな紙肌、光沢、強靭さに魅せられ、早速何人かは一般に販売されない薄様の紙を手に入れていた。

昭和17年(1942)元京都大学名誉教授の山本一清博士が上田上の奥に天文台を造り、世人の注目を浴びた。その建物は、旧家の邸内一郭にあり、今は観測器具も取り払われ外観のみが面影を残していた。

正休寺では本堂に上がり、住職より寺の由来および建築物、什器の話しを聞いた。梵鐘は京都北野天満宮の神宮寺から明治2年(1869)に移されたものであった。

最後に、瀬田史跡会名誉会長山本文良氏の講話「桐生の昔と今」を聴いた。桐生の始まりから説き起こし、磨崖佛、三田六池創設、地場産業の紙漉き、箔押しから山林の荒廃による水害、砂防工事、果ては昭和40年代の土地開発にまつわる問題まで、1時間余に亘って事細かく話されよく理解できた。そして「桐生の歴史は水との闘いであった」と締めくくられのが印象的だった。解散するのを待って、ぽつりと雨滴が落ちてきたのも、皆様の精進の良さのお陰でした。

(山下)


      

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