近江歴史回廊倶楽部

行事の詳細

 例会  武佐宿散策と学長講話
 
    

武佐宿は近江八幡市にあり、例会(10月22日)の当日、武佐公民館に47名が参集し「中山道武佐宿の散策」が始まりました。

散策するに当たり、地元の森田館長より、配布された資料に基づき武佐宿についての概況説明があり、今にその面影を留めている街道筋を見ながら、脇本陣跡の武佐会館の会場に移動し、市史編纂室の亀岡哲也主事より次のような説明があった。

「この宿場は、近江中山道六十七番の宿場として、東は愛知川より二里半、西は鏡を経て起点の守山へ三里半のところに位置し、北は若狭・越前へ、南は津・伊勢に至る重要な街道の宿場として栄え、当時は「本陣」として下川家が大名、皇族、公家の宿泊に当てられ、古き門構え、庭園、土蔵が今に残されている。」

「脇本陣」は奥村家が勤め、本陣の補助的役割として当てられた。現在跡地には、この武佐会館が建っている。
その他、宿場役人宅には平尾家が当たり、二十三軒の旅籠を構え、二ヶ所に問屋が置かれて、人・馬の継立てや荷物の取扱いを行ったという。
大橋家は米・油を商っており、また商売の店も多く、時の産物として「武佐墨」「武佐枡」が有名で、特に「枡」は八合程に相当し、それで通用していた≠ニいう。


その後、近くに存在する古刹の太子山広済寺を訪ね、24代目の武 住職より、当山は嘉禎元年(1235)了仙なる僧が、親鸞に帰依し、浄土真宗に転派したという。

 応仁の乱に後光厳天皇がこの地に落ち延びたと伝う′テき由緒をお聞きする。
 また、明治十一年(一八七八)十一月明治天皇の御昼饗の行在所となり、今も大切に残されている奥座敷の玉座を拝見する。

再度、宿場街道の現地に戻り、旅籠の中村屋・八風街道の町並みを拝見しつつ武佐宿の散策を終え、午後の「学長講話」に参加のため「ウェルサンピア滋賀」へ移り近江歴史回廊大学公開講座「学長特別講話と歴史を生かした活動事例報告」を拝聴し有意義に例会を終えました。
(村井)



      

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