近江歴史回廊倶楽部

行事の詳細

例会  新学長特別公演と近江で活躍した文人たち
 

10月17日、秋日和というより夏に近い陽射しの中、膳所駅近くの竜ケ岡俳人墓地を訪れる。国道1号線の北側に沿い、石段を数段登った約20坪のこじんまりとしたこの墓地は、国道の喧騒を外に経塚を中心に二十基程の墓碑が円座して、まるで心静かに今も句会を楽しんでいるかのように祀られている。
琵琶湖を一望できるこの地は、芭蕉の弟子内藤丈草の結んだ仏幻庵の付近であったそうです。

 市街地を馬場へ下り義仲寺へ向う。この辺は昔粟津が原と呼ばれ琵琶湖に面した景勝地であった。寿永3年(1184)、粟津合戦で、朝日将軍木曽義仲は、源範頼、義経の軍勢と戦って敗れ(享年31歳)、遺骸がこの地に葬られた。初めは信濃柿の木を一本植えて標としていたが、のちに近江守護であった佐々木(六角)氏が、同じ源家の将軍として、この寺を建立した(1534)。

 義仲を愛した芭蕉はたびたびこの寺を訪れるようになる(1684〜1695)、次第に芭蕉を慕う弟子たちが集まり義仲寺は俳諧の会所となり俳諧師相続により江戸時代後期には俳諧師持ちとなり今日に至っている。

 芭蕉の遺言により、旅先の大阪で没してすぐに、弟子達の手により義仲の墓の隣に葬られた。さして広くない敷地に上手に配された八つの堂宇や庵等と、句碑や歌碑・墓石や塚がそれぞれに雰囲気を以て建ち並び、小池もあり芭蕉の樹や、花木や草花が植えられ、よく手入れされている。

 句碑の中に『無腸』の名があると知り、もしや上田秋成の句かと探してみたが見付けられずに残念。一時を過ごし椿の実を拾い自宅に植えてみようと貰ってきた。数年後が楽しみである。

 琵琶湖文化館で特別展 『フェノロサ・天心の見た近江』〜明治21年臨時全国宝物調査から〜を、学芸員の詳しい説明を受けながら観せていただいた。
 明治維新後の神仏分離令により多くの文化財が民間や海外に流出していきました。日本美術の優秀さを再発見し、保護の必要性を説いていたフェノロサや、彼に薫陶を受けた岡倉天心らが調査委員として、全国の文化調査を実施しました。滋賀県の調査は明治21年10月27日から12月上旬迄に実施され、実に6千件を超えたといいます。

この調査は歴史的意義も大きく、この調査に基づいて「古寺保存法」が制定され、「国宝」の指定が行なわれました。フェノロサと友人のビゲローは法明院で得度と仏法潅頂を受け、この大津の地に祀られています。

 出品作品は、仏像、仏教絵画、工芸品、調査書類、フエノロサ・ビゲローの遺品、岡倉天心書簡等七十二件が展示されていました。いずれも観ごたえのある物ばかりでした。滋賀会館にて「近江歴史回廊大学」の新入生の方々と共に、新学長の竜門冬二氏の講演にききいり充実した例会に参加できて喜んでいます。

(佐々木)






       

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