近江歴史回廊倶楽部

例会・見学会の詳細

見学会 日野祭りとその周辺


 日野町役場前10時集合出発日野ボランティアガイドの2人(1人は前郵便局長もう1人は役場課長)に先導され、先ず日野小学校玄関前にある日野商人の行商旅姿の商人像が建っている。日野ではあまり近江商人といわず日野商人と言っている人が多い。
この姿を見ると交通の便は何もなく頼れるのは自分の足であり身体である時代の1人旅大変な事だろうと思い意志の強い人たちだけが成功したんだと想像されます。

 次は桟敷窓で有名な日野の本通りを歩いて正野薬店の正野家を見学しました。
この辺は日常は穏やかな静かな街並みですがこの祭りの華美な曳山や神輿と共ににぎわいの街に一変します。

綿向神社に向かいましたが祭りのクライマックスに合わせて神社に向かう人波で歩行も楽ではなかった。すでに各町からの曳山13基は広い境内の左右に居並び式典の最中でした。
式后芝田楽を先頭に3人の神子に次ぎ神輿三基など約2kmに及ぶ祭列が續き曳山の囃子はここぞとばかり全曳山が大合奏です。

参加会員31名ばかりは祭列についてそれぞれに信楽院に向かいました。この寺院は蒲生家の菩提寺として有名な古寺で寺の奥さまやボランティアガイド二人の解説で寺内や宝物殿など説明頂き寺を後にしました。

 200mばかり降りますと氏郷公が茶の湯の水に用いたといわれる湧水があった。
利休七哲の筆頭と言われた氏郷は在城の時たびたび茶会を催したといわれ当時には「若草の清水」「落葉の清水」「清水脇の清水」と三つの泉があった。
これを日野の三名水と称したが二つは涸れてしまい埋没してしまったが「若草の清水」は今も清水を注いでいる。
天明4年(1784)と慶応2年に地元の人が建てた彰顯石碑と共に氏郷ゆかりの清水として大切に保存されている。ここから少し行ったところに清水町言う町内があるが埋没した二つ
の泉がこの辺にあったのではないかとおもわれる。

 若草の清水から少し下って行くと日野一番地 水口藩の日野代官が居た屋敷跡がある。その隣西側に岡家が3軒あるが全部留守になって居り3軒目西側になる家が今はやりの健康味噌の製造元で社名は長野味噌という。
上田城の近くに大きな工場をもっている本家である。

少し歩いて日野商人館に入った。この家は山中兵右衛門が宝永元年(1704年)商道に志して御殿場に出店して成功した日野商人の名家で昭和11年に新築されたが昭和56年民族資料館として町に寄贈されたのを日野町は日野商人館として利用しているのである。玄関入口には瀬田大橋のランカン の一つが建ててあるが中井氏が瀬田大橋を三千両で建て直した記念として置いてある。

日野商人は数々の地域社会奉仕をしたが一つ一つ挙げる事は紙面が許さず山中家の家訓となる
@「慎」の十か条を挙げておくと
A「役職についたら役職の威光を外には用いるな」
B「仏事は大切にせよ」C「実直な商売をせよ」
Dたしかな品物を扱って高利を望むな」
E「小さいお得意様ほど大切にせよ」
F「分以上の商売は一切やるな」
G「おもわく買いはするな」
H「商売替えは一切無用である」
I「従業員にはあわれみを掛けてやれ」が代々家訓として生きている。

たいへん上手上品な館員さんの解説を受け各人御礼を云って玄関前にて解散致しました。

(野田 記)


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